最近、英語教育は悪いものだと主張する人が目立つ。
民族主義とか軍国主義とかの亡霊がよみがえって、ゾンビのようだ。
日本語、母国語を大切にすることは、必ずしも悪いことではない。
しかしそれは必ずしも良いことばかりではないということ。
言語をひとつだけで生きることは危険を伴う。
そのことに気が付くのは早いほうがよい。
それは日本語だけのことではなくて。
つまり特定の言語民族を非難するために、英語を学べという人はほぼいない。
あるブログで母親が小学校に入ったばかりの子供さんと海外に行ったことを書いて、その本人もやはり小学校二年生の時にはじめて海外へ行ったと。
私はずいぶん遅くて中学校二年生の時がはじめてだった。
それでも今、その経験は珠玉だから、早い時期ならもっとよかったのかもしれない。
戦争で敗けたことで、白人の国に行くなんてと言う日本人もいる。
私の祖母もそう言っていた。
そういう感情のしこりの問題がある人は無理をして海外に行く必要はない。
しかし、日本列島の中だけでしか、日本人とだけしか会話ができないというのは、特殊すぎる状況なのだ。
特殊であり、危険ですらある。
日本へ転勤・移住・留学・旅行に来る外国人と会話することすらままならないでは、なかなか損することも多いだろう。
一方の祖父はフィリピンでアメリカ軍は立派なものでレスペクトされたと感心していた。
英語がわからなくても数か月間は意思疎通ができたらしい。
英語は公用語の国数はそれほど多くないかもしれないが、70か国あるので馬鹿にならない。世界の3割以上もある。おおまかにアジアアフリカオセアニア。
でもそれより公用語になっていなくても、首都で英語が通じない先進国はおそらく多くない。
母国語と第二外国語はたいていどこでもあって、英語を学ぶ機会があるのは珍しくない。
なにより言語としての難易度を考えると便利がいい。
日本人は漢字が必須なので、漢文を深めて広げることで中国語学習には近い民族だ。
それも国際外交関係があまりよくないから微妙だがまだ文化交流や通商上は使えるだろう。
あとは話者が多い言語でスペインポルトガル語を選ぶ人もいるが、職業上と好きな文化で選ぶのが無難だろう。
その場合、とっかかりが義務教育の英語だから、フランス語やイタリア語を勉強しようと思っても、すぐには環境がない。日本国内に英語のネイティブは多いが、その他の言語のネイティブが少なくて外国語大学に行かなければ仕方ないような環境。それで留学するのだろうが、おいそれとは皆ができない。
ただ、留学の準備はたくさんできる。今はYouTubeの動画やスカイプやズームやチームなどの無料通話で学ぶことができるから、人気のある言語なら留学にこだわる前にかなり準備ができる。
そういう楽しい学習の機会を偏見で閉ざしてしまうのは如何なものか。
将来の活躍の場を狭くしても希望も小さくなる。
日本語を母語としても、小学校半ばまでには第二言語に慣れさせて、中学校か高校では第三言語に取り掛かれるとよい。
ちょうど漢字教育が本格的にはじまるのが、小学校半ばなので、自然なのは第二言語が中国語なのだが、漢字に目くじらをたてなければ、英語に慣れ始めるのがよいだろう。
そうして、大学受験までに英語は余裕でB2までもっていくのと並行してもう一つ楽しみながら学ぶのが理想かもしれない。
たとえば音楽好きならイタリア語になじみがあるのだから、イタリア語。
シャンソンが好きならフランス語でもいい。
ただ、あまり多ければよいというものではないから、生涯で3言語できれば十分くらいのスタンスでマメに継続するほうが大切だろう。
欧州人には4か国語自在に操れる人が相当な割合いる。
それは母国語と英語しか喋れないよりは便利がよいからだ。
日本語だけで困らないという人たちは、いわゆる田舎の人だ。
多様な人間と交流する楽しみを捨て、学習や商売の相手を限定して、監獄の中で困っていないという人もたしかに世界中にいる。
キリストも日蓮も、人々が地獄にいることを自覚していないと言った。
一途な美しさは場面を選び、概しておおらかな対応力のほうが幸せだ。
英語にこだわる必要もないが、言語は成人するまでに2か国語は操れるようになっていなければ、かなりその後が厳しいだろう。
肌感覚というのが、すぐに柔軟に子供のように吸収できる人ならいくつになっても習得に挑戦することができる。
でもそんな人はあまりいない。
私は日本語のメリットは感じていない。
何語でも慣れて気楽に喋れたらそれでメリットなのだ。
怯えて日本語を喋っていれば不幸。
多言語に慣れて覚えていく楽しさを大切にしていきたい。