もともと自己責任は、元気な人が良い環境の中できちんと自分のことは自分でするという、やや道徳や宗教的な社会規範に近い心がけをいうものだと私は思う。
わかりやすい例では、乳児に自己責任と言えば、間違いなく乳児は死亡する。
要介護、要医療、要社会訓練、要職業訓練、要水道光熱費、要社会サービスなどの状態にある人たちに対しては、自己責任という見方は当たらない。彼らもまた自己責任と言えば、状態が悪化して死亡することは間違いない。
日本人やユダヤ人などの富裕層がそれをほぼ理解しようとしないまま、政治利用、商業利用していることは、とんでもない野蛮性・未開人性・未発達性である。
日本人のおよそ9割は住居費・食糧費・学費・職業訓練費用・法的支援・家族的つながり・介護医療費の複数にまたがるいずれかに逼迫し困窮している。
商業政治(自公民維)はまさにその9割以上をターゲットに自己責任と喧伝するためのものだ。
遺伝子の問題ではなく、食糧事情や家庭の事情で身体的成長度合いは決まり、日本人は年々発育不全や各疾患発症者が増えてきていると思う。戦後から近年の一時期は日本人の発育はかなり改善していたが、もはや世代を問わず悪化するタームに突入した。
寿命が最高記録になったのも、今後は凋落の軌跡を辿る。
公正に自己責任と言うならば、基礎条件を整備した上で使うべき言葉である。
裸足でマラソンを走って金メダルという例外的事例を日本人全員に期待する現在の商業政治目的の自己責任はまずは言葉遣いの間違いである。
日本神社神道を拝する業界団体が確信犯で日本民族(領土内の人間)に対して、自殺教唆するためにプロパガンダするのは、真実、人間の良心を踏みにじる言葉の悪用だ。
ひどすぎる。
ほとんどの国民にはもはや切る自腹もない。
自殺と突然死不審死の合計が全体的に減らない。
必要な住居食糧その他の人間の基礎条件が欠けている9割以上の国民に対しては、断じて自己責任という言葉は公的に使えない。
まず国民生活上の基礎条件を公的に整備する国家的自己責任が大前提である。
国が仕事をまともにやらないで、あわれな貧しい発育不良の民を鞭打つなんて、極悪非道な奴隷商人よりもまだ悪い。
嘆いている場合ではない。
国家的瑕疵を厳しく追求(具体的改善交渉)できるだけの、人間的な政治家を1人でも多く当選させることだ。
今の狂った政治家官僚を野放しにしている結果として、日本人はイカれている。
イカれている親から教育を受けたのは気の毒であるが、人類の叡智をネットでいくらでも知ることができる。
其の名は賢なりといえども実に因果を弁(わきまえ)ざる事嬰児(えいじ)のごとし 日蓮 知識のある人たちが道理すらわからない赤ん坊のようなものだという意味
図書館も近隣市町村まで考えるとまだ一応ある。
日本人がまともな有用な学習をして、1人でも多くのまともな人間になって欲しい。
今の日本をあたりまえだと思ってはならない。
カルト独裁国家を健全化する必要がある。
創価主義で馬鹿が増殖して亡国の危機に浮かれている。