FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

個人個人の問題といっているから起こる事件事故多発(個人主義一部見直し) 世の中を明るくする方法

個人の資質向上や個人の責任認識などの必要な努力はいつ誰が教育するか?

親族や地域の共同体から、宗教共同体や学校教育の場へと個人の成長の機会はシンクロしつつ、少しずつ人格形成をする。

しかし、実際は、反社会的親族や反政府地域の大人たち、神道にへつらって虐待する大人たち、呪いや怨みと復讐心を植え付ける宗教、前近代的階級差別を教える教師たちの中で、個人の人間形成はまっとうにはなされない。

よほど読書や自然環境や文化的なものに没頭する機会に恵まれ、本人の意志と努力を擁護する大人たちに囲まれなければ個人の自己責任を問うことは難しい。

家計が火の車になるようにグローバリズムを悪用する自公政権維新と政府。

学校教育制度崩壊を導く雇用予算の窮状。

古代シャーマニズムのレベルの伊勢参拝標準化。

もはや子育てする大人たちがいない。

熱意ある大人たちは過労で病むばかり。

連日の事件事故も統計上の悲劇の数も、政治宗教の間違いから頻発している。

NATOに媚びを売るより、日本国内政を充実させて国民生活を豊かにした上で、真っ当な交渉ができる。

必要な予算配分は、建設国債発行でできる。

生産力と資産が国債発行のキャパシティだ。

アメリカは上限に達して激論になったが、逆に日本は発行を抑えすぎて多方面で経済国民生活が危ない。

電力や水道などは、本来収益を追求する事業ではない。

人類史的に、公教育やインフラにかける生産力と資産は、収益性を無視して公金を投資し続けるものであり、赤字国債ではなく建設国債に該当する。

政治経済の基礎中の基礎である。

基礎を疎かにデタラメの限りを尽くすのが道徳的だとシャーマニズムの狂った日本人たちが自公維を支持して日本を破壊している。

政治経済的に生活文化も破壊され人格崩壊した日本人が無数にいて、次から次に事件事故を起こすのは、止められない。

気合とか真面目さとか注意では、もはや止められない砂漠化日本となった。

やるべきことは、日本に水と肥料を撒くこと。

日本人を闇に置いているカルト宗教の覆いを取り除くこと。

太陽の光を浴びているのは、日本人の2%程度だが、日本人はそのことにすら気が付いていない。

国債は必要額発行するのが健全である。

政府自公維には、必要性についてまともな判断力が欠けており、財務官僚が模範解答をするものだと思い込むシャーマニズムの残虐性がある。

事実や理性からの指摘を受けると、彼らは一様に胸くそ悪いと逆切ればかりしている。

国民生活を守れない彼らの残虐性は先進国では突出している。

頭脳の知識量や回転はあるのだが、シャーマニズムと残虐性のために全力で多数の国民をいじめ殺すだけの能力なのだ。

日本人は人間として幸福にはならない。

呪いと怨みを晴らすための努力と暗くゆがんだ幸福は変態趣味である。

隠せない悲しみや苦しみを若い人たちの表情に認めることがあまりにも多い。

健康状態が心配な10代の子たちが大勢溢れている。

政治宗教に携わる人たちには人間の心がない。

自己責任論は無慈悲な責任転嫁である。

権限権能ある大人がやるべきことをまずやるべきだと思う。

そのための政党政治、民主主義、自由ではないか?

健気に生きる生物をいじめ殺すだけの政治など政治の名にあたいしない。