どの国や地域でも多民族で多彩な立場上からの思想信条宗教があり、それぞれの自由が尊重されるとされる。
理想的な話でもあり、先進国では多党、連立、議会が発達して少数派や弱者に配慮する。
もっとも特徴的なのは、議論検証のためなら宗教や教会を公然と非難する。
それは教義についてより行為に対する指摘なので、建設的非難である。
行為責任を問う民主主義こそ公正な政治の基礎だ。
日本の政府議会では、まったくない。
マスコミも政府や議会の責任を問わない。
正しい指摘を異端の反政府による非難として処理する。
無責任な政治はその日本の神道の精神構造から改善されない。
議論検証もしない、責任もとらない、改善はしない、なにも聞かない、なにがあっても知らない、増税だけ、値上げだけ、自腹だけ、苦しいのは自己責任、自殺しても自己責任でなにも関係ない。
ロシアや中国を非難するまえに、日本人は日本人の自由のために、自由に考える必要がある。
いつでも海外旅行に行け、いつでも海外に移住でき、食べたいものを食べ、住みたい家に住み、就きたい職業ができ、正しいと思ったことを発信して、厳選して宗教信条を慎重に見る。
多くの人間の幸福の条件はどれも誰もあまり変わらない。
日本インド中国ロシアは階級序列だけの独裁国家社会である。
1%から3%の階級にしか人間としての教育も条件も与えない政治であり宗教なのだ。
そして不幸になることが決まっている97%がその政治や宗教を信じているという話は眉唾物である。
洗脳され騙されているだけで済ませてはならない。
国家と公益の概念、社会正義と人間をないがしろにした幸福はもろい。
知らない日本人が何千万人亡くなっても、知らないで済む感性が日本人の感性であり、ちょっとまともではない。
ここ数十年、反政府は保守派である。