FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

音楽のどつぼ 何気にヤバい楽しみ方

ある素晴らしい曲があるとする。ある素晴らしいアーティストがいるとする。
しばらくハマるくらいの魅力を感じることがある。特に若い頃ハマることが多いようだ。
繰り返し同じ曲を聴いてニンマリする。
現代は録音技術があるから可能な楽しみ方だ。

ふと考えておかなければならないことがあると気が付く。もし演奏したり歌ったりする側だったらどうだろうか?と。
同じ曲をなん十回何百回と同じように演奏して歌うなんて苦痛ではなかろうか?と。
よほどのヒット曲でファンが求めるから演奏する場合でも同じ日に三回以上やることは稀なことだ。

つまり自分が好きな曲やアーティストの曲を一日中聴いたり、やけに繰り返し聴いたりすることは異常な体験を作ることになる。
メロディーや歌詞が頭の中をぐるぐる回って困ったことがある人もいるだろう。

ここで、なぜクラシック音楽の楽しみ方、プログラムが序曲・協奏曲・交響曲という並びになっているのか、参考にしてみたい。
これ、三曲とも作曲家が異なることが多いようだ。かぶっても2曲くらい。そしてこの三曲の組合せはほぼ無限にあって同じ組合せになることは稀なことだ。

音楽を楽しむ達人たちが編み出した楽しみ方は、たくさんの形式のたくさんの作曲家の楽曲をいかにたくさんのバリエーションで次から次に楽しむか、というやり方なのだ。

いつもいつも5分くらいまでの曲をえんえんと繰り返し聴くことは危険を伴います。しかも同じジャンルのアーティストだったり、ましてや同じ曲ならなおさらです。なにか学問的研究でもするために繰り返し聴くことを求められるのであればやむを得ない。でも楽しんでいるようでどつぼにハマる異常な体験は避けるべきです。

もうひとつの気付きとして、アマの音楽愛好家が発表のために同じ曲を半年間くらい何度も何度も繰り返し練習することがあります。やはりこれは研究価値のある曲を研究するためにのみ繰り返すべきだと思います。研究と丸暗記は少し違いますが多少かぶります。

若い頃は一途なものに対するあこがれがとても強いものです。純愛とか一途とか、ハマることが美徳であるかのように錯覚して自己陶酔することがよくあります。やはりこれは年代の特徴とも言えるものなので一概に悪いとも言えません。見方を変えれば深く掘り下げて考えることもできるからです。付き合ってみてはじめてわかる本当の姿。
研究に没入する美しい学術への貢献など。

はたしてハマるだけの価値があるのかどうか順位をつけてみるのも大事かなと思います。好きなのだから価値はあるのでしょうが、人生は二度ありません。そして本当に好きなのかどうかはあとになってから気が付いたときには、もう手遅れです。価値がより低いものに影響された自分というものは、後からより高いものにしようとしてもそうそう出来ないものです。水は低きに流れます。

人類が世界中で古典芸能を大切にしてきた理由が見えてきます。古典芸能にはその楽しみ方のセオリーも含まれています。
みなさんも日本や欧米の古典にハマる価値の高いより充実した人生を作ってみては如何でしょうか?

中途半端で浮気性な自分を反省しつつ。みなさんの健康を祈って。