FujiYama’s blog

日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

虐待はしつけなら正義だという自己正当化がもたらすもの

f:id:FujiYama:20210228131031j:plain私には弟と妹がいる。3つ下と8つ下である。
3人いても文殊の知恵は出てこなかったし、3人で三ツ矢サイダーを楽しむこともなかった。
両親の虐待が激しかったからである。
なぜかといえば、教育者の立場、教員免許があって、教育のためなら暴行脅迫等は正義だと疑わないベースがあった。
未就学の3歳や5歳くらいの子供に理由も告げず、あるいは理解不能な叱責とともに、鉄拳を喰わせる。げんこつでぶん殴るのが当たり前なのである。
時代のせいにするには、世の中が豊かになりすぎていた。
土日はまず暴行デーと決まっていた。
弟も私も殴られてガラス戸にからだごと何度も突っ込んだ。
その度にガラス屋さんが修理に来る。
回数が多すぎて今なら通報されたに違いない。
一家は父親の暴力に怯えて暮らしていた。
ようやく小学校にあがると今度は忘れ物をしたことに対する懲罰が始まった。土曜日の夜に帰宅した父親が私を屋外に出して、忘れ物を学校に取りに行かせるのである。上履きを毎週忘れて帰ってしかも何度でも学校に取りに行くというのは、今から考えたらアホらしい。
学校までは1キロほど。夜道をとぼとぼと歩いて用務員のおじさんに学校に入れてもらう。もう夜中の1時だよなどとつぶやきながらおじさんは毎週のように応対してくれた。
父親は恐怖の対象であるから何度忘れるなと命令されても幼いころの私は冷静に記憶したり判断したりすることはできなかった。
何年かして担任の先生が変わったころ、上履きの忘れものは自然と問題にならなくなった。
しつけのつもりだったのだろうが、夜中にわざわざ家から出すのは明らかな虐待である。
よく弟と遊んでいて、板張りに正座の罰を受けたことも多かったが、なんど思い出してもいくら考えても理由がわからないのである。
この暴力が蔓延していた家庭に妹が誕生して少しばかり雰囲気が変わった。
妹の幼少期には父親からの暴行虐待の記憶はあり得ない。暴力の世代交代の時期が近づいていた。
今度は弟が妹に恫喝し、母が妹に暴行虐待するようになった。私は妹に対して優しく接してあげた。基本的に私は誰に対しても優しく接してきたつもりである。
私は物に当たるタイプで、基本、人に対しては手は出さない。
父親の暴力が連鎖して、弟も母も教育のためと言って妹に辛くあたっていたように思う。
いくら教育のためとはいえ、暴力はまずいと思う。f:id:FujiYama:20210228131115j:plain
そんな家庭のなかで美しいバイオリンの音色や母のピアノの音も共存していた。
先日記事で触れた音楽にはスパルタがセットという話は、まさに教育目的とわかるが、意味不明な虐待は本当に禍根を残すことになった。
親子関係がまったく破綻している原因だと思うのだ。
父親がDV男だった場合、救いはない。
その父親は毎朝神棚に水と榊を供えていたことを覚えている。
神道というのは、キレやすく暴力が当たり前なのである。
そしてまったく安寧がないし、信頼感もない。殺伐とした寂寞感が漂う。
私にとっては、学校と音楽だけが希望の日々であった。書物とバイオリンは希望だった。
読み進むのは遅く、バイオリンの習得も遅かった。
しかし暴力や恐怖よりはマシな安心があった。
法律制定以前のことなので、今も虐待の罪は償われることはなく、元教育者の皮をかぶった犬のような父親はのうのうと正義面で生きているのであろう。
私は永久に彼を許すことはない。
一家の精神を狂わせたDVの連鎖を永久に追放することが心の安寧そのものであるからだ。
それは神道を永久追放することでもある。
日蓮正宗の教えのとおり、神道では人間が不幸になる。公的資格や宗教で暴力は正当化される。
日本人には非暴力や平和という魂がわかりにくいようである。人間という単語すらわからない人たちも大勢いるので、気を付けなければならない。
弱者への暴力がまじめなしつけなのだと勘違いしているイカれた日本人たちを当局は厳しく取り締まって欲しい。情報提供、通報など臆さずに是非とも協力していただきたい。