今の政治を放置しておけば、まず間違いなく日本人の首は絞まる。絞殺の考察でもしてみることにするが、主犯は政府日本国である。教唆犯は中国共産党と大韓民国である。実行犯が政府であるという事実の根拠は、貧困と自殺の関係性ともうひとつ経済政策の失敗にある。たんになんとなく貧困が増えたのではなくて、政府与党が意図的に(有効政策の不作為で)貧困を増やしているというのが、正しい経済学者たちの見方なのだ。
このまま放置して日本人がのたうち回っているのを見物しているととても壮観であり圧巻である。日本が繁栄してきた70年代くらいまでは考えられなかったことだ。
世界一の日本とうたわれたのが嘘のようである。
私は生粋の日本人であるから、別に日本が滅んで欲しいわけではないが、日本人がいかに傲慢で不遜であるかはよく知っているから、どんどん貧乏人が増えていって、みんなの生活が苦しくなっていることは、特になんとも思わない。自殺する人がいるのも本人の考え方の問題であり、宗教上の選択であって、それは政府が100%悪いことではないと言えなくもないからである。もっと日本人が死ねばよいとか病的なことを主張するカルト宗教もあるが、創価学会のように自分たちの宗教をやらない人間はみんな死ねという極端な考え方には反対である。
そうは言っても嫌いな日本人というのが数千万人いるから、その中で苦しむ人がいてもあまり気にならない。ましてや自殺するなら人に迷惑をかけない方法で自殺してほしいと願っている。
しかし日本が繁栄していた70年代ですら2万人前後いたことを考えると、やはり貧困だけで自殺を語ることも完璧な話ではない。
自殺を煽るもの、たとえばカルト宗教とか自殺の正当化を図った浄土真宗とか、自殺のマニュアル本出版とか、個人の意思を踏みにじるのが当たり前だという法律家とか、さまざまな要因が重なって自殺に至るので、貧困はその引き金だという風に考えなければならない。
ほんとうに難しいのは宗教や法律家、医師の間違いであって、そればっかりは誰かが改善させることが難しい。
障がい者なら自殺してくれとか堕胎してくれとかいう社会の風潮は、実は宗教的潔癖性のあらわれである。潔癖症も行き過ぎると多くの健常者を生活破たんや自殺に追いやることになる。
もともと女性の自殺率が低いので、最近女性の自殺者数が上がったという報道を見ると、自殺率の男女平等化だと思ったが、歓迎はしていない。
自殺者数、自殺率そのものが低下していくのが望ましいからだ。
しかし今の政治では、官僚と与党でどんどん日本人の所得を減らしていって、あわよくば自殺してくれたらいいなという魂胆が見え見えなので、放っておきさえすれば日本人は首をくくってくれるということになろう。
政府与党は日本が滅亡しても、靖国神社伊勢神宮と創価学会だから正しいのだと開き直っているだけだ。大本営発表だけを繰り返して、日本が繁栄しているように主張し、正当性があるように脚色して発表するだけなのである。
そりゃ放っておけば日本人は首をくくるしかないわけだ。
マスコミも加担している。スポンサー企業が法人税をさらに下げて欲しいから、消費税をさらにあげればよいと考える彼等は、収益のために日本人が死んでくれたらいいなという鼻歌を歌っている。マスコミは自己責任論であるから当然自殺を煽る側である。マスコミを見ていると自殺したくなるのが当然なのである。特に貧困層が死にたくなるように番組もCMも作成されている。
自殺は本人の責任という法律・医学的立場から言えば、煽ることは罪にならず、教唆などの具体的関連行為が認められなければ罪に問われない。自殺してくれたら助かるなあという考え方があるものだから、マスコミや宗教、政治にはほんとうに気を付けなければならない。かれらには政治的なキリスト教や神道という非人間的な野蛮性のある宗教しかできない。仏教という高等な宗教をすることが不可能な人種なのであるから、自殺させることについてなにも感じないし、自殺することに対してもなにも感じないのである。そういう宗教を信じさせられていると、まさに自由意志として自殺は正当な自由選択であるということが言えてしまうのである。
ほんとうは政治の問題だけではない。貧困の問題だけでもない。宗教的に放置することもまた罪なのである。宗教的に神社や創価学会で構わないという信条は、間接的に他人に自殺をすすめることと同じである。
私は宗教上の違いを人に教えて差し上げることをしてきているが、どれだけ多くの人に届いただろうかと自問しつつ、これからも人が自殺などしなくてよい正しく慈悲深い宗教だけを広めていきたいと考えている。インチキやヤクザな貧乏人いじめはまったく性にあわないのである。