FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

政府の考え方の誤り 自ら手を下さなければ国民の致死、民族滅亡は正義なのか?

政府は伊勢神宮を公式に特別扱いして、最近は創価学会まで特別扱いするようになり、どうやら正しいとか間違いとかいう判断能力が著しく低下しているようなので、ここらで何を間違えているのか暴露したい。
伊勢神宮を政府として特別扱いするのは、憲法解釈によっては、違憲不当であるが、まずそれは脇に置いておくことにする。
本題、核心部分に進みたい。
なぜ財務省は緊縮財政を徹底しているのかといえば、9条を守るためだと表向きはなっている。国債を自由に発行できることになると軍事に使うようになり、問題だというわけだ。
しかしこれは表向きである。
なぜかと言えば軍事国債が問題なのであって、財政出動赤字国債を発行することにはなんら問題がないからである。むしろ経済成長のためには赤字国債が必要だ。
日本が経済規模を減らし、GDPを減らして喜ぶ人がいるだろうか?みなさんの給与所得が減って喜ぶなんてどうかしている。
赤字国債を発行して、GDPを増やしていくのが政府の仕事である。
国の経済は国が通貨を発行してそれに従ってみんなが豊かになっていくだけだから、国が通貨を回収してそれに従ってみんなが貧困になっていくのも道理なのだ。
国が水道の蛇口を締めれば、みんな貧困化する。しかも必要なインフラまでもが支出をケチってぼろぼろになり、地方経済は疲弊しきっている。
なぜ財務省は、政府は、こんな自殺行為ができるのだろうか?
簡潔に言えば、国民不信である。
以前カルトの記事を書いたが、政府の信心をやらないなら死んでしまえという暴論なのである。
伊勢神宮創価学会を拝まなければ死刑。
どんなにプロパガンダを張っても、自民公明の得票率は3割くらいまでしかいかない。
政府もマスコミも宗教も地域も口を揃えて、財源がないから、予算がないから、それしか言わない。
財源は国債だし、予算も必要なものは必要なのだから、みんなでおかしな話をそれらしく吹聴しているだけだと気が付かねば。
政府は日本国民を信じられないから、お賽銭やお布施にならないと踏んで、国債を出し渋っているに過ぎない。日本人がみんな伊勢神宮を参拝するなら消費税撤廃して所得税も下げてよいというあんばい。
国民が豊かになっても誰も政治家や官僚を敬わないと思い込んでいる。みんなが政治家や官僚に感謝しないと思っている。要は自信がない。
だから国民なんて死んだって構わないわけだ。ガースーも表向きは生活保護があれば死なないとメチャクチャを言っている。
政府官僚たちは、国民生活が豊かになっても、GDPが増えても、なにも良いことはないと信じている。感謝されないと思っている。
その考え方、ひがみがなくなれば、国民を信じて財政出動(国による投資)を積極的にするようになるだろう。
問題は政府与党という母集団の共通認識が国民不信で固まっていることではなかろうか?
国民なんてとうてい信じられないという宗教的確信がある以上、お金なんて渡すわけがない。貧乏させて苦しめてこき使わせて、ちょうどいいあんばいなのである。なにしろ政府与党は特別なお方たちである。特別な立場だから、国民を苦しめても許されるのである。東大や政府の権威というのは、そういう非人道的悪徳そのものである。
国民のうらみ、のろい、無念、苦汁をせせら笑い、ほくそえんでいる。なんの問題もない、政府エリートは特別なのだと。劣性遺伝子の日本民族が繁栄しては困るのだと。