FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

ザリガニ カブトエビ すずめ ひと昔前は

写真は東京銀座のコンサートの帰りに撮影したビル群で、街中ではすずめを見かけることがある。

まだ私が小学校に入ったばかりの頃だったか道の脇、パン屋さんの隣の小さな店舗の軒下にすずめがうずくまっていた。飛べないらしかった。そのままにしておくのは可哀想なので、掌にのせて大事に家まで連れて帰り、どうしたら回復するかと実母にたずねたが要領を得ない。

間もなくすずめは死んでしまった。

狭い庭に埋めてあげた。

今はアメリカザリガニをとったら返せないらしいが、まだ昭和の後半で、たしかにアメリカザリガニは大きくて見映えもするがそれほど多くもなく、まさか法律が必要になるとは驚きだ。しかも効果がどの程度あるのかまったくわからないような。

日本のザリガニは、パッとしない地味なものだから、臭い用水路や足もとが危険な川に入るほどの価値があるのかどうかとても疑問なのに、よくわざわざ面白がって入った。とったザリガニを家に持ち帰り、エサの煮干しを与えていたが、水を換えるのをいつもおろそかにして、数日程度で命が尽きてしまう。子供ながらなんとものぐさなと思う。いつも通路程度の庭に埋めてあげたが、飼い方によっては寿命がずいぶん違っただろうと今でも申し訳なく思っている。

人口は100万人以上いるというのに、家から小学校の向こう側のエリアにはまだまだ田んぼが残っていた。小学校からこちら側にはほとんど住宅しかない。

古いお寺の敷地の池と県道沿いのため池はどちらも底なし沼と呼ばれて恐れられた。

田にはカブトエビが沢山いて、つかまえる難易度がザリガニよりはるかに低いのでザリガニがとれなこった日に何度か持ち帰ったことがある。

しかしザリガニより弱くて翌朝にはもう生きていなかった。なんと儚い命かと哀しくなるが、また埋めるしか能が無い。

飼えもしないものを持ち帰らないようになるまでは早い。

命が尽きてしまうのを目の前で見続けるほどの勇気がないからだ。

アメリカザリガニが増えすぎたら加熱して食用にすればよいが、食用となると別の感覚で罪悪感や哀しみはなくなるから不思議なものだ。

実際に食べなかったが、法律ができたらしいので、バスもそうだろうが、調理方法を普及させて食べるのが1番対策としてよいような気がする。

要するに増えすぎるエビと魚である。

素朴に美味しく食べる方法はないのかと思う。

まだまだ日本は豊かなのか、東南アジアの養殖エビばかり食べる結構な身分である。

日本人の一部は戦中戦後はザリガニを食用にしたので、今こそまたその文化を甦えらせるのに良い時期なのかもしれない。

街中で商品パックとして並ぶか、レストランや食堂のメニューにあれば、モノ好きが堪能するかも知れないし、案外普及するような気もする。

国産なのだが。。。