コーヒーも、砂糖も、アルコールも、たばこも、別になければないで必要ない。
唯一やめるのに苦労したのはたばこである。
悪い大人(父とバイオリンの先生)の手本があってたばこはのんでもよいのかと始めてしまった。
良いお手本が母方の祖父と祖母の妹の夫の二人で、二人ともたばこはやめてしまった。
二人を見習ってやめたというより、やめることが可能であるという歴史的事実が大きかった。
砂糖を摂取することがなく、調理してもいれないし、外食は基本的にしないし、月に二回程度お菓子を食べる程度で、そんなに砂糖がなければならないという理由もわからない。
フリマの商品の包装紙に塩大福というのがあって、それは砂糖を使用しているのかどうか知らないが、むかし塩ぜんざいを何度か食べた。
ぜんざいというのは、あずきと餅を煮たものだが、一般には砂糖を大量にいれる。
これを砂糖ゼロで塩で味付けをするのだ。
ふつうにおいしいものだった。
小倉や豊前でぬかみそ炊き、ぬかみそ漬けという食べ物があるが、これも市販のものは砂糖を入れていて不味くて食べられないが、もともとの伝統料理としては砂糖はゼロ。
米飯や小麦や片栗など、料理には糖類が必ずつきもので、なぜ砂糖が必要なのか理由や根拠がなさすぎるのである。
飲料にも砂糖はいらない。
アメリカでコーヒーはブラックでと頼むと13才だったので笑われた記憶がある。
子供はミルクと砂糖を欲しがるはずだという。
黒砂糖と三温糖を使用することは数か月に一度くらいはあるが、基本的にノンシュガーの日本的伝統文化を代々遺している。
砂糖菓子なんて年に何回で十分なのだ。
洋菓子好きは戦後いくらか仕方ないのだが、幸い、依存しそうにはない。
追記20230914
コーヒーを数日飲まなかったら、元気がでない。
つまり唯一コーヒー依存症らしい。
ブラックコーヒー依存症だと気が付いた。