個人的にはIRは不要だと思うが、治安や依存症の心配をするのは、本来家族的な地域社会あっての人間的な人情からである。
大阪中心部の街並や人の波は学生時代よく目にした。
都市高の環状線は車間距離詰まりすぎ。
学生時代当時から、人情と呼ばれているものは、実は商売人と拝金主義にまみれた根性論が染みついた悪しき日本文化そのものだと感じる。
そもそも治安は悪く依存症も多いし、それこそが経済の飽和をあらわす。
カジノはダメという意識の高い人間もまた、商売人と同じ拝金主義。
地域の貧困層を見ながら、自分の収入が足りないから助けようもないという。
自分の懐に入れるお金が、どこから来ているのかは違うが、本当は本心は何でもよい。
どんなお金でも、モノは食べていける。
預金も資産も増やせる。支払える。
沖縄に基地。広島に原爆。大阪にIR。
アジア人の文化は拝金主義と諦め。
治安や依存症にも諦め。
どこにも意識の高さは活かされない。
中国の発展に見習うのも、拝金主義で呼応する積極財政部分だけで、そもそものアジア人のものから進化するものではない。
銭を寄付したりボランティアしたりという文化も庶民向け奨学金財団にはならず、金は天下の回りものという努力の希望すら吸い上げて、もはや殺伐とした原野の野生動物がウヨウヨうごめく危険で不気味な日本の都市部は、人間的な人情をわかる人があまりいない。
その傾向が強すぎると、維新公明都民ファーストのような闇社会政党が躍進するということが起こる。
アジア人は諦めがよすぎる。
往生際が悪いくせに諦めははやい。
同じ生きるのに、変わらない商業政治に立ち向かうより、銭になびくほうが気楽なのだ。
ミサイルがあれば外交ができると政治家が言う。
カネがあればやっていけると庶民も知識人も言うその弱い心はほぼ同質の弱さだ。
我は強いが、正義感や人情なんて大半の大衆は持ち合わせない。
無関係な人が諦めて大人しく死んでくれるという感覚。
5割増しの物価高に僅か2・5%増の年金。
社会保障なんてアジア人にはもったいないという感覚なのではないか?
虫ケラが餌を求めて這い回るような大都市の大衆に何を期待するというのか?
そこを諦めないのが人間だ。
だからIRが出来ても、人間として生き続けようとする人間がいるのだ。
選挙権があるから人間なのではない。
数が多いから正しいのでもない。
レベルの低い人のための政治を意図的に推進する政権を選択している大阪人気質に相性がよい。
お高いものは金持ちに任せるという諦め。
根性がヤクザなのであって暴力団だけがヤクザなのでもない。
それは伝統的な文化であり、おそらく若いころに、そういう教育を受けたのだ。
観光で行きたくない大都市の1つが大阪である。