FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

値上げを受け入れるだけ?見殺しの人間は退化していく

f:id:FujiYama:20220204171330j:plainなぜか値上げだけで、値下げはほぼない。
原油価格が高騰とか原材料費が値上がりとか輸送費がとか。
原油価格が下がっても原材料費が安くなっても輸送費が下がっても、企業はとにかく値下げしない。
ひたすら口実をつけて値上げあるのみ。
それは、ちょっと給料をあげても追い付かない。
給料は頭打ちになるようになっている。
この成長路線が馬鹿げたものだとイヤ気がして、対策を考えるのが自然なのだが、人類はその思考をまったくしない。いや放棄している。
たとえば100の仕事量で給料が10で、200の仕事量で給料が20になるのであれば、まだ努力できる。
実際は仕事量をどれだけ増やしても給料は同じ10のまま。
雇用人数を絞るので誰も何も言えない。
そこに経費の上昇から食品エネルギーの生活費が高騰してくるので、オリンピック選手みたいな元気な労働者だけが健康に生き残るという仕組み。
自然淘汰を人間にも適用して、たいはんの人たちは生活苦の生き地獄。
自由主義というのは、ホロコーストの自由、自殺の自由、餓死の自由を人類に保証した。
勤労権、職業選択の自由、幸福追求権は、絵に描いた餅。
自己責任、自助努力という発破かけは、健康で文化的な最低限度の生活とセットでなければ、実際上効果はなく、どんどんみなさんが病んでいくだけだ。
生産技術、設計技術、医療技術、教育技術などあらゆる技術の発達は、人類の生活を豊かにしたかと言えば、むしろ貧しくした。
数%の幸福と豊かさは確かに実現しているが、人類はただの飢えた動物として仕事にあぶれると即死しかねない原始人の段階に後退しつつある。
値上げだけしかしない企業と成長路線というのは、原始人の弱肉強食と自然淘汰の思想による政治が決定しているシステムである。
人間の社会というのは、それでは成り立たない。
健康で文化的な最低限度の生活ができずに、犯罪や虐待が多発することは、科学的にも、仏教的にも、その因果関係は明らかだ。
お金が大事か命が大事かではなく、命のためのお金であり、まんべんなくお金を行き渡らせるシステムを構築して機能させるためにも、値下げありきの経済政策を提唱したくなる。
そのための公的予算、政府支出であり、積極財政のすすめをしている学者もいるが、私も学者もよくわからない人たちからは非常識だと非難されている。
他人の命よりお金とわめく人たちの非常識さというものを自覚するべきだが、なにかに取り憑かれている現代人は、自由だから、個人の問題だからと酔いしれているのである。
拝金主義はホロコースト容認の危険思想だ。
経済はお金ではない。
人、モノ、サービスだ。
便宜的なお金を悪用して、庶民を経済虐待して、のほほんとしている日本人はたいへんに罪深い。
どうも他者の苦悩が気にならない人が健康とされ、みんなで幸福にという人たちはつまはじきにされる。
エリートの病理と日本人のあさましさは明治以降はっきりと白日のもとにさらされてきており、そもそも元来99%の日本人に恥の概念はないように見える。
ふつうは人が苦しんでいれば助けるものだが。