人は貧乏で犯罪に走る場合が多いのだとか、資産があればそんな馬鹿なことはしないという思い込みがあるらしい。
事実はまったく無関係だ。
拝金主義から来る誤誘導。
手間暇をすべて換金することしか考えられない。
貧しいのはココロであり、危険なのは他を敵視するため、敵視せんがための偏見だ。
人類に平和がない原因は古代からの迷信による誤誘導。
これだけ科学や統計がたくさん発達してもやっぱり意図的に戦争や経済紛争を推進している。対立軸を形成すれば殺人は自動化できる。宗教は敵対心と排除の絶対的根拠になる。
いままでもこれからも貧乏人同士だけでなく能力の高い野人レベルの給与所得者や経営者同士も打ち合いさせていがみ合わせる。
そこに何も感じていないアマゾン社会指向というのを見直すべきだと人類の頭脳はすでに気が付いて改善の流れを構築しようとしてきた。
そういう基本構図を捨ててはならない。
そもそも神道やユダヤがそういう前向きで建設的なものを理解していたとは言い難い。
バイオリン弾きの嗜好もやはり危険な拝金主義。
きちんとした人間の営みとしての音楽を忘れてはいけない。
新幹線でも凶悪事件が起きて、飛行機の機内でも暴力沙汰が頻発し、霞が関近辺で焼身自殺未遂は抗議行動だろうか、彼らが貧乏だから犯罪に走るのか、彼らを尊重していないことが伝わっているから犯罪に走るのか、そこを間違えていることも重要だ。
つまり富裕層も尊重されていないと感じた時に犯罪に走っているのは同じなのだ。
それを一方的に貧乏人はと言えば、単純に挑発行為である。
貧乏人が危険なのか、挑発行為が危険なのか、そんなことは幼稚園児でもわかる。
自由主義というより資本主義が過剰になると、人間を軽視してカネを拝むから貧乏人は危険と言いたくなるのだが、それは真逆でカネを拝む人間ほど危険なものはない。
カネのために立法しカネのために殺人する彼らの神経が正常化されるように願っている。
資質能力を広くまんべんなく高めるためにはあらゆる生命に尊敬が要る。
その結果、平和がなんとか維持される。
せめて人並み程度になるように、ぎりぎりまで他を敬いたい。