芸大講師の方がファツィオリのレビューをしていたのを拝見したとき、半年でようやくわかると仰っていたのが印象的だった。イタリアのピアノを演奏家として評価する特有の話。
私のバイオリンを弾きなれた時期が13〜15歳、19〜21歳、24〜26歳、34〜39歳だった楽器は弓の載せるコツがわかっていた。官能的に美しい発音発声が可能だった。
1年7か月経った。今はとても素晴らしい楽器になったが、載せるコツが変わった。慣れたかなと思い始めると、弓毛の量を増やしてまた加減が変わった。
音の出だしが最大化されたぶんだけ加減レンジが拡がった。
爆音の調整。
トリプルターボエンジンは身に付けるのにもう少し時間が要る。
カートからF3000くらいのギャップ。
発音をはっきりさせられるハキハキ感、サクサク感、エッジをきかせられるグリっと感、音感の精度がはっきり出せるグリッド感、音量調整できる豊かな響きと表現の幅が拡がってよいぶんだけ統制に苦しむ。
ロック歌手や讃美歌やオペラ歌手の多彩な歌心をそのまま表現できるとよい。
歌声=ではなく歌心表現になるように自分を取り戻そうとする。
あまりにうまくいかないので、今までまったく見ていない奏者を参考にしてみる。
動画で木嶋真優さんの伸びやかな音を聴いても、フルに楽器を活かす弾き方を習得するのは楽しいと思うが、それなりに期間がかかる。
思い切りのよい勢いのある繊細さがバイオリンの特長だから、右手の成長(ある部分までは回復)がとても楽しい。
もうひとつは、奏者の気迫、気魂、エネルギー、ワクワク感だ。
日本人はマメでよいが、停滞した沈鬱さに引きずり込む地獄の沼文化である。
そこのところを体感として、心から楽しめるようになると素晴らしいのだが。。。
藝大から留学していた荒井氏の配信リサイタルは別人の演奏にように素晴らしくなっていて、ほとんどの日本人にはきっと日本ではクラシック音楽を体感表現できない。
米中のはざまで真実を見失わないこと。
よい楽器とそうではない楽器しかない。
個体差より大別のギャップを掴み取るほうが大切で、まさに無駄な浪費は1日でもはやく卒業してよい楽器を得るべきだ。
運命やめぐり合わせに負けない自分。
フランスカトリックの文化を物心ついてから幼稚園までの間、直接肌で感じられた身の幸運を思い、天に感謝したい。
一直線の目指す方位方角が正しいと信じることだけは絶対に自由だ。
クラシック音楽の魂。