先日の国会での山本太郎代表の岸田総理への質問を観たところ、ストレートな分かり易い質問であると同時に「やまもとたろうのそこまで言って委員会」と笑えないものを感じた。
笑えないのは良い意味ではあるが。
政治は文化であり、技術であり、大多数の幸福のためである。
悪い意味では、被災者や弱い少数派のことなど無視して見殺しにするための合議、寄り合いである。
日本文化はエグい伝統をまだ保存している。
そこを突きまくる一本槍の山本代表。
総理はスポンサーと議席数を背景に大上段に小政党の変わり者めと言わんばかりに威圧的である。
そう、エグいのは、議会、寄り合いを含めた日本の文化なのである。
日本の伝統的政治は個人の幸福よりも派閥の繁栄で徹しているから、個人の意志はまったく考慮しなくてもよい。
政治で個人の基本的人権を潰すことに専念する。
救済法や予算策を申し訳程度にして責任逃れ。
それでいて、公家系と上位富裕層の基本的人権は律儀に認める。
幸福追求権を一部だけに認めるのは良くない。
全国民が勝手好き放題になるのは一部は困るものの、無秩序とか治安悪化とかいう心配は取越苦労か杞憂だろう。
幸福なんて程度が低い幸福が蔓延していて、ライバルの急増を怖れる富裕層特権階級の小心さには呆れる。
官僚や商社が幸福な職業だという偏った価値観で政治文化をセコセコこせこせさせて、国民が不幸でも我関せず。
無神経なコミュニティが国民を馬鹿にして見下す。
たしかに民衆は無価値な幸福に酔いしれる無価値な生き物だ。
生き物を選別して殺戮しても構わないという価値観から日本の政治文化もナチズムも成り立っている。
それはイカンと明言追及するのが国会ではれいわくらいしかいないということに何も感じない日本人こそエグい河童衆である。
共産党すらパフォーマンス政党に成り下がったし、もはや悪事にブレーキが効かない国家地域に成り果てて、あとは有事紛争を花火大会の感じで楽しむようにと国民教育に余念のないマスコミには期待できないどころの騒ぎではない。
そろそろ学校給食に芋粥でも出さねば。