「核兵器を使用するものは、これ魔物であり、サタンである。」
そう言った戸田城外は日蓮正宗の正式な信徒である。
城聖は最初城外と名乗り、安住より戦いの心を意識的に選んでいる。
与党で尻馬に乗るような根性は微塵もなかった。
日蓮正宗の教えからいくと、使用するものが魔物サタンというのは、ある意味使用するものの心が魔物サタンに染まり乗っ取られていることを示しており、その権力者の心を菩提心に替える日蓮正宗の題目がいかに重要かを戸田は強調したと言える。
別の選択肢を探す。
そう感じる人たちが多いのだろう。
しかしながら世界の大半が菩提心なるものをそれほど意識しているとは言えない。
しかも心の話をしているのに、使用者、トルーマン、投下兵員が攻撃目標にすり替えられる。
使用する者を吊るし上げること、政治利用だけが今に伝えられている。
平和が文化や教育の前提であるにもかかわらず、核兵器使用が悪いというのは矛盾だ。
拳銃を使用するものは、これ魔物でありサタンとは言わない。
平和と正当防衛のためなら使用せざるを得ない。
武器を持った凶暴な部族集団が突っ込んでくるならば、平和のために最強の兵器を使用する。
他に止めようがないのではなく、効率的効果的。
他の手段でも死者が多数発生するのは同じである。
果たして当時の核兵器使用は正義の正当防衛だと解することができる。
問題は日本政府が無条件降伏を繰り返し拒否した責任である。
拒否した心はアメリカ政府に使用を決心させた。
したがって使用させたのは日本政府である。
それを考えると、魔物やサタンは日米双方に宿っていたのだが、言うまでもなく日本政府が残虐で無謀な戦争を始め降伏を拒んだことが原爆投下の主たる原因だ。
核エネルギーがまず兵器として実用化された人類の不幸。
しかしそれも日独伊の世界征服の野望が原因である。
むかしアメリカのホストファミリーをひどいじゃないかとなじったことがあったが、その後改めて原爆投下は正当であったと手紙を書いた。
難しいようで簡単だ。
日本政府に大義があれども国民も占領地も悲惨な専制君主制を強いられた。
正当な基準は民の幸福と最小限の犠牲である。
そしてそれは正しい法華経思想でもある。
戸田は別の場で連合軍に感謝の念を吐露している。
原爆の残虐性云々よりも、連合軍の公正さによる軍事裁判・軍部解体のほうが日本の法華経思想に貢献すると識っていたからだ。
現代の日本人たちが、その意味を理解していないことは深く憂慮すべきことである。
官僚もネトウヨもチンピラも主要政党も、あまり大差なく理解力が著しく低い。
社会正義や公正さという基準は、人道性を確かな前提としなければ理解できない。
キリスト教を排除して、日蓮正宗をカルトとし、科学者識者の眼を左翼扱いし、まるで人道的課題を議論する能力もない。
無能であるがゆえに国民生活は逼迫する一方で国家総動員法の時代の訪れが、防衛費倍増の過ちの繰り返しそのものであると言える。
核抑止力など効き目はない。
ロシア領内も攻撃されている。
心がおかしいからこそ、精神がおかしいからこそ、日本人にとって人権問題はどうでもよいものなのだ。
国民生活をないがしろにする政治家官僚の屁理屈を拝んでも、また日本列島は火の海になるだけだ。
正しい歴史認識、正しい国際関係秩序から国民生活のために誰が働こうとしているのか?
悪い宗教に決して騙されてはならない。
少し考えればわかる。
統一教会・エホバの証人・創価学会など近寄ってきたら毅然と断るべきだ。
戸田はこうも言った。
「政治を監視せよ」
カルト宗教による政治を監視せよ。
国民を不幸にする政治を監視せよ。