FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

不快と必要な労力

ヨーロッパの屋内の床は日本人が驚くほどゴミや汚れがあって、異口同音に屋内では靴を脱ぐように願望を持ってなにかしら不満を言う。実際に自分の家だけはと全員靴を脱ぐようにして床の衛生を保つ人もいるそうだ。

そこで不思議だと思うのは、西洋ではプライベートを重視するのになぜ内外が同じなのかなということで、まさに土足で他人の家に入っている。

しかしながら、私は気が付いたことがあって、高齢者障がい者にとってはドアはかなり握力筋力が必要なノブや扉の厚さになっていて、内外の区別は重いなということだ。簡単にドアを開けるもんじゃない。そのドアは大丈夫か?天に通じるか地獄に通じるか?回転ドアはやはり重々しく、人の手ではなく自動回転ばかりなようだ。

日本人は何でも軽い方が性能が良いと言うが、軽々しく快適に地獄めぐりをしているようなものだろう。

一長一短といえばそれだけで済む話だが、床の汚れが気にならない代わりにすべての国民へのフットケアが行き渡るように皆保険保障が発達している。

毎日重い扉を開け続ける文化は元々はカトリック教会の文化だろうが、無教養な人達がプライベートを弁えないだけじゃないのかとありきたりな結論にしておきたい。

かつ日本人が快適さを追求しすぎるあまり、快適に土足で他人のプライベートに軽々しくズケズケメンションし非難していることは自覚しなければならない必要な労力だと思う。

複数の遊び人芸人さんはそもそもテレビでめちゃくちゃな実態を自慢していたから、社会的信用がゼロ(むしろマイナス)なのだという自覚を持たなければ、この上なく恥ずかしいと思う。

むしろ事実無根でも謝罪しなければならないような人格を晒してきたのは本人であるように感じるが、勿論知らない芸人、知らない世界のことについて正確には言えない。人格とか人間とかについての所だけは、本人が公共の電波で材料を常に流出させていて皆さんが判断出来るような立場であろうかと思う。

必要な労力をきちんととらないと、軽々しくその場限りの快楽を繰り返すのは、ドアの無い家に住んでいるようなものである。