ある記事の一部に「S氏も危惧していたことですが、心肺停止で運ばれてきた患者さんに蘇生処置をして、悲惨な延命治療になりかけたとき、それを中止したら殺人罪になるのなら、医者ははじめから蘇生処置をしなくなるのではないでしょうか。そのことで、助かる命も見捨てられる危険性も生じます。」という不可解な論説があって、ああ、この医師や記述者にはある意味判断能力がないのだなと感じた。
延命治療を全否定するためには、本人の同意があっても厳格で難しいのが当然。
法の制定などしてしまったら、蘇生治療や救急医療の必要性すら法的に薄くなくなってしまい、今より救える命を捨てることがスタンダードになってしまう。
本来ならまだ回復する余地があるから、筋弛緩剤が必要になるほど動くわけで、なぜ確率論や一定の主観で安楽死させることを正当化しようとするのか?
医師が医療提供を拒否しているだけなのだとも言える。
コンマゼロゼロ1でも生存余地があれば、そこにかけるのが医療の使命だ。
仁術とはまったく無関係な話で、医療と生命倫理の基礎にすぎない。
そんな常識的前提もなく医師になれるシステムにも問題がある。
仮に医師を信じても、一般診療科であっても、患者の死に喜びをおぼえるほどの変態なのか或いは異常な感性のような難しい人格の医師もいるものだと医療への信頼をやめておこうと思った。
このS医師は当然殺人罪が確定したが、まったく反省できていないのは、生命を預かるものとして善悪の判断が、ほんとうに信じられないことに、おそらく今後とも出来ないことを示している。
安楽死というのは、善悪が判ったうえで、規則や要件を勘案してこそ可能になるものだから、間違いなく患者の同意と場合によって家族の同意というところに責任転換してバンバン殺すのは目に見えている。
生きる力がまだまだ残っている生命体を手に掛けることの重みを、医師は軽々しい善意で忘却してはならない。
たいてい親族などカネや名誉で意見を変えるだけの患者の敵であることは誰でも知っている。
そこも善悪がわからない日本人は、親族へ責任転換してあっけらかんとしている間抜けさを晒す。
各種虐待防止法もすでにまっとうに運用されず犠牲が増え続けているが、公務員ですら善悪がわからないケースが多い。差別解消法然り。
途上国民としての日本人と向き合って、これからも面倒くさい話題を取り扱っていきたい。