政治にかかわると痛い目にあうぞ。
裏とか闇とか難しい人たちが絡んで、長生きしたけりゃ黙って大人しく従え。
むしろ政治を天のはからいとか言って、個人の意思や要望はないものとして扱えというのが、アジアの伝統的な感性としてまだひろく残っている。
だから、私利私欲ということになる。
日蓮正宗やキリスト教カトリックですら、宗教内部だけでなく神道にへつらいユダヤを担げば知恵モノだとか信仰心があるとか、意味不明な規範を相当遺している。
ましてや一般の大衆は、民意とか民主主義とか投票とか、もはやなんのことだかわからない。
残念ながら、サル以下だろう。
サルは自殺も虐待もしない。
家族を精神病にしたてあげて幸福とか功徳とかいう悪知恵はない。
日本人は上下万民日蓮正宗法主以下全員真実私利私欲になってしまった。
むかし泉州が今のニューヨークのような世界の中心だったころには、多様性を尊重して麗しい人間の共存共栄という高度な文化が発展していたということは、王朝や政治こそが人民、人間の敵であるということを示している。
善政が敷かれているわけではないからこそ、私利私欲の行動パターン、独占、寡占などの硬直した上下命令服従関係に陥る。
政治に無関心になってくれれば、3%は好き放題できる。
右へ倣えで瘦せ我慢の日本人はただただ悲惨なのだが、サル知恵なので、うまくやっているつもりでしかない哀れさが浮き立つ。
結局、人間は中央から離れてこそ幸福になる面は否定できない。
もちろん首都やセンターであっても政治を排除すれば幸福になることができる。
自由権とプライベートは完全に個人のものでなければならない。
別荘や牧場は自前で所有するには維持費や気苦労が大きすぎる。
政治を天候と思っては間違いになる。
為替や物価も同じだし、悪意ある人間の一群を修正することができるのは、議会制民主主義選挙だけである。
個人の努力や工夫で乗り越えられるような甘い悪党なんていない。
悪党にガンガン追求できるような候補者こそ、人間の幸福追求の尖兵である。
私利私欲は、つまらなく惨めなものだ。
地獄民は自分が地獄にいることに気が付いていない。