FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

運を天にまかせてよいか?

f:id:FujiYama:20220112022442j:plain自然災害、戦争、疫病、悪政というならびになって数千年が経過するアジア。
あきらめて運を天にまかせてよいか?
いやまかせるよりほかがなかった。

問題は悪政を鉄板にしていること。
戦争は悪政から被害が最大化されるし、自然災害も疫病も悪政なら大変なことになる。
マスコミ、財閥、有力企業、大政党、宗教という最大派・多数派工作だけで悪政の制度化が完成して、個人の発言や意見と外部からの助言はまったく聞き入れない。

組織化されていない個人を自発的な民主主義の勢力として糾合しようとする試みは、皮肉なことに、新たな多数派工作に終わる。
悪政と対峙するための新たな悪政。
次から次に負の連鎖。

善政というものがあるとすれば、欧米型のイメージだけではカバーできない。
欧米にも問題はある。
個人を尊重しつつ私利私欲ではない社会正義を併せ持つだけで充分なのだが。
そういう人間個人の思想や指向というものは、国が管理すべき、誘導すべき原則。
先進国はその常識的な科学性、社会正義を理解していなければならない。
人権がわからない日本のエリートに善政は期待できない。
教育の内容もただの職業訓練で、宗教を誤魔化して地方自治・学校を運営するのは、底の抜けたバケツで水を汲むようなものだ。

国の宗教が国の教育と社会正義の内容レベルを規定していて、その水準より以上には絶対に改善しない。
歴史伝統があるものは絶対正しいなどという思い込みはいけない。
宗教が人間の魂を決め、その心からビジョンと政策が練られるのだから、問題の根本原因は常に神道の採用である。
専門にいくら明るくても心が違う。
細部にいくら詳しくても独善的ならうまくいかない。
国政を伊勢神宮にまかせるというのは、魂を獣神の動物レベルに止めてしまう。

新たな政党に期待をしたとしても、結局宗教を間違えていれば、政権交代しても元の木阿弥。
一番大切なのは政党政治家を選ぶ心であり宗教的魂である。
一人一人を尊重するとか、一人を大切にとか綺麗なキャッチは実現しない。
政治家は多数派工作ができれば優秀なのであって、善政を期待している人たちはそれほど多くない。
むしろ悪政でぼろ儲けしたい。
比較的健康な市民はごく少数派だ。
そしてみんな綺麗事には安易に賛成する。
日蓮宗で安心安全なんてできもしないのに。

アジアの遺伝子が日本に濃く残遺している。
悪政という悪天候の気候帯。
空が晴れることはない。

もし心も天も晴れるとしたら、日蓮直系の日蓮正宗を採用することによるだけである。
間違った宗教各派を拝みながら善政を期待するのは、豆腐に鎹(かすがい)。糠に釘。
古いものならなんでも有難がって拝んでいるのだから、非科学的な盲信と狂信のエリートたちだ。
国の命運とわれわれの命がかかっているのだから、理論と根拠文献と事実を兼ね備えた最優秀の宗教かどうかきちんと検証しなければならない。
運は確実に理論や道理で決まる。
運を主体的な努力で変えていく人間の智恵は、まず宗教をよく学ぶところから始まる。
医学医術と同じで、コンマ1%のミスで多くの命が失われ、多くの疾病が蔓延するのが、宗教の危険性。
徹底して議論検証する必要がある。
日本人全員が幸福に繁栄するための宗教は日蓮正宗以外には断じてありえない。

原油がないのにガソリン車を基幹産業にしたり、所得や終身雇用を破壊しながら少子化対策を立てるのも、伊勢神宮浄土真宗日蓮宗を拝みながら政治・経済活動するのも、まったく同じ次元の愚の骨頂である。
そもそも日本には日蓮正宗しかない。
マスコミ政治家たちの虚栄虚勢はもう聞きあきた。
なにはともあれ、みなさんまずまともな心の人間であってほしいので日蓮正宗を勧めている。
産まれて初めての味わったことのないまともな心をぜひ体験していただきたい。