FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

政治がなぜ東京富裕層中心に動くか 国際比較 令和新選組の決定的弱点

このブログではかなり宗教面からの見方ばかり書いてきたが、結局それはベースとして否定できそうにない。

日本は敗戦時から極端なまでにキリスト教の教育に転換せざるを得なかった。(旧徳川利権への復讐に最初は用いられた面もある)

その余波は今もって歴然とした日本人富裕層の教養教育である。

キリスト教を陰で誹謗できるのは、労働者階級や中途半端な上流くらいである。創価学会もその1つだ。日蓮正宗は純粋に宗教法人の利権で否定するだけで、その神道に対する優越性は理解しているが信者を盗られるから認めたくない。

いずれにしても、東京は本当に東京のことしか考えていないし、私利私欲と外交通商という名の外面に専念し、日本国を都合のよい植民地とするための統治占領橋頭堡基地である。

なぜそのようなことがまかり通るか?

日本の肝が神道を看板にした日蓮正宗であることは何度も記事にした。

しかしそれは主に戦前までのベースで、戦後は神道を看板にしたキリスト教という思想の富裕層と神道を看板にした日蓮正宗創価学会という思想への分離分断が実際上起こった。

そしてその富裕層の集まりが東京に偏向しているのは変わらないし、キリスト教思想が入った体面が高度化したことで、庶民的視線からは、政治に声が届かないという不平不満となって感じられるのである。

そもそも国民が理解できない政治はそういう構図で不動なのだ。

理解を求めるよりは、不平不満のガス抜きで充分に政治だというスタンスだから、問題ない。

それを問題だというならば、ローマ・カトリックを全否定しなければ追い付かない。

それは、先の大戦を招いた日蓮正宗の政治的キリスト教否定でしかなく、愚かさの極みである。

戦後、老舗の範囲がいきなり近くなり、1888年創業も老舗となった。なぜそんな胡散臭いことが起きるのかと思ったら、ヨーロッパでもその頃に新しい国づくりが始まっていて、やはり1800年代は立派な老舗というスパンがあり、その象徴がベルギー王国である。

ベルギー王国と日本の関東地方はほぼ面積が同じ。人口は3倍強で関東地方は周辺地方から多く吸収しているからだが、よく似た近代的成り立ちでもある。

都市圏が日本は極端に広いだけで、あとは似たような階級階層分布に見える。

流入低賃金労働者(日本よりはるかに好賃金)をこき使えるから、富裕層は安泰で、反政府は移民出身外来宗教政党でしかありえない。

いくら言っても、政府にいなされるだけであり、ちょうど日本の令和新選組の立場に似ている。

気の毒だが、令和新選組は飛躍しない外来亜種として相手にされない。

良心的な政策を主張しても、富裕層が理解できるように伝える力がない。

政治は利権であり、いかに国全体が適正な利権で栄えるようにするかで、政治家の採点がなされれば理想的だが、逆を支持している国民は、神道だから支持しているのであり、それが主流として生き残る道だからと信じて一部に私利私欲を許して集団自殺しているのである。

この富裕層と庶民の乖離は絶対だと気が付けば、令和新選組のやり方、山本太郎の哲学では、政治改革が頓挫することは、すでに決定しているのである。大衆の中での排除が繰り返されている。

そういう理由で、私も彼らも宗教に否定的でありながら、日蓮正宗を極めて人の心から変えることを何度か令和新選組に勧めた。

山本太郎の周辺にも神道で元の木阿弥にする政治家予備軍、ユダがたくさんいる。いくら票や人を集めてもユダたちでは、山本の経済政策は骨抜きになる。

哀しい基本は階級の溝の深さ、相互不信感、相互懐疑主義であり、そこに宗教と政治が一致してさらなる溝を深める無限ループであるから、まず大衆に日蓮正宗ローマ・カトリックという難しいことをわかりやすく広めていけばよい。

池田大作の多くの話は創価学会への我田引水を別にすれば、そういう効果を見出しうるが、勿論私はヤクザではないから支持しない。

とにかく、日本人大衆の蒙を啓かしむるものは、政治ではない。

日蓮正宗ローマ・カトリッククラシック音楽である。

支持率は別として富裕層の岸田総理は教皇に謁見しており、ベルギー国民の過半数ローマ・カトリックである。

政治に悪影響を及ぼす宗教というものは、政治的でないところでは好影響だから、ひとつの正統な学習段階であって、決して否定してはならない。

例えがうまくはないが、手で計算するのは時間がかかって有害だから計算機を使います。だから小学校の算数は否定するというようなものだ。

そこを大切にするからこそ、富裕層や名門は歴史的に長く存続しているのであり、短兵急な党派や挙兵が成功しても続かない理由である。

基本的に学問はだれでもできる。

それは、兵隊にするためのものだから、誰でもできるだけだ。

そんなことだけではない人間の奥深い心理を動かせなければ、金で国民を釣ろうというのは同じで、富裕層は金と文化や勲章で釣ろうという高度さにキリスト教的人道性の偽装まで加わって、その壁を破るのは不可能である。

やりたいことはわかるし、理想は大切だ。

しかし、ただの政変狙い、成り上がりたいだけの勘違い野郎に終わるのかと思うといたたまれない。気の毒な人は多いが、人の話を聴かない人は救いようがない。

ホームレスを見ると、いつも思うことは、なぜ助けてもらわないで辛い思いばかりしているのだろう。

物乞いを見ると、いつも思うことは、人の財布に手を突っ込むなんて迷惑がられるだけだろうに。

令和新選組はその次元の人気者に見える。

本当にどんな人でも抱擁して仲間にしていくだけの度量がないなら、党勢拡大のための党内政治としてすでに破綻しているし、そこがクラシックを知らない人達の俄作りなのだろう。

資金に苦しめられるのは、味方に敵を作り続けるからである。味方をひたすら大切に抱きかかえるならば、資金の悩みは悩みではなくなり、さらに好循環をうむだろう。

富裕層は赤の他人にも丁寧に率直に筋を通す。その相手が例え無教養無資産であっても同じだ。

立候補したいだけの人に筋を通すと離れるというのはウソであり、未発達な人間を排除するやり方では手詰まりになる。

理想を言うたけなら共産党でもできる。

世界の富裕層に学ぶべきだろう。

実務者としての人事がわからないから人を使えず排除する。

それは新興宗教の人気取りでもまったく同じである。

浅い部分、役職やカネで人を釣って、人間性を標榜しつつ、粛正ばかりやるのである。

山本太郎氏は池田大作をやりたいのかも知れない。

自分のタマを知ることからはじめるという意味でも、タマを大きくするということでも、彼はまだスタートラインにすら立っていないのではないか。

大衆には理想や希望がない。

人間としての理想や希望は、人間にしか貫けない。

人間観、世界観を1からやらないと難しい。