FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

教育費は額ではない 国体より希望 民族主義より機会均等で国勢強化

教育費と基礎研究のための費用を惜しむ人は、だいたいカルト系だ。

さりとて、無尽蔵に出すのも財閥階級を特権化して可怪しい。

伝統的仏教の一般家庭では、大学を贅沢だと言うが、これは政府自民党の支給奨学金の対象を狭くしている根拠であろう。

伝統的キリスト教では、大学に行きたい人はよほど頭が悪くなければ学費どころか生活費までみてもらうことがある。

この差異は、間違いなく宗教の進化程度を示す。

ガラパゴスとか独自の文化と言っても笑えないからアホならガラパゴスを誇ればよい。(ガラパゴス本家にも申し訳ない)

必要な予算を公的にきちんと行き渡らせて、家庭の負担なく未成年(社会人教育生涯教育と併せて)をよりよい社会人にみんなで育てる感性は、日本にはない。

公立学校で教師が過労で病むとか、階級差別を教え込むとか、本来断じてあってはならないことだけで現場は回っている。

希望は私立にしかそもそもない。

義務教育の公立学校は墓場である。

高校でも自己負担できる家庭には希望があるが、なんとか高校卒業までさせるのが精一杯の家庭では、基礎スキルが怪しい人となって、その後うまくいかないケースが続出する。

精神疾患や反社の問題も額面だけではならない。

家庭を含めた教育現場における闇に光を当てて改善すべきを改善するためには、予算人員を決める人達に正しい知識を伝達する必要があり、それは聞く耳を持たない官僚や議員の後ろ盾である悪しき宗教家まで説得し続けることまで含まれる。

信者を護る義務のない集金宗教が無責任に教育を贅沢だとミスリードするのは、日本国地域のためにならない。

出家僧の中の階級差別という救いようがない各本山における現場・人事裁量は、仏教に出家僧と一般人を救う力がないことを示し、それを末法というのである。

血筋と財力だけの教育システムを護る国体の護持。

まず象徴天皇制度を廃止するくらいの過激派もどきの宗教改革からやらなければ、政治や教育の問題を論ずる意味はない。

堂々巡りの地獄巡りあるのみで、出世組ですらみんな希望がなく私利私欲のレベルが卑しいばかりの財閥主義なのである。

宗教が権力と結託するだけの悪しき政治思想に堕するのは古今東西の危険性だが、日本の場合開き直る伝統があって危険性という認識すらない。

貧困問題には現金が当面の間必要だが、間に合わせにすぎない。

根本的解決は金でも時間でもないところの、人間としての基準や規範の問題である。

バブル期にいかに多くの見苦しい浪費が氾濫したのか想起するならば、まず第一に活字教育、人間教育、宗教の掘り下げ、教養教育、健康や健全性教育という根本的なところから国を変革するしかない。

ただ遊び暮らしたいだけのバブル再来狙いで経済政策をやっても、マフィアや反社が潤い、精神疾患を増やすだけだ。

持論だが理系至上主義も問題であり、技術教育はもっとも慎重にやるべきで、テロや反社の危険性、イスラムの脅威を増大させるだけの短絡的無責任主義紙一重である。

それ以前の人間の掘り下げとしての文系を希望を持てる形に文科省も根本的に変革しなければならない。絶望と自殺ばかり教育するのは、一般的には誰しも歓迎できない。

いかに優れた繊細な感性も希望へ向かわなければ役に立たない。

哀しみの日本文化は哀しみの宗教政治からやってくる。

歓喜の中の大歓喜を人間に目覚めさせることが最重要最優先である。

王国の階級差別は絶対悪として人類史から消し去るべき忌まわしい過去にしなければならない。

宗教否定と宗教回帰(近代化と人間復興)の2つのベクトルを統制調整するための議会制民主主義へと進化する前提条件から手を付けなければ、どんな政党でもどんな政権でも金太郎飴である。

田中角栄池田大作のようなカリスマは1代限り一過性に終わる。

官僚の人間レベル、政治家の人間レベル、宗教家への改革圧力を上げることだ。

そこに注力すべく人的経済的投資体制を作るグループこそ天下万民全日本国民救済の希望となろう。