創価学会だけではないが、宗教、家庭内において後継ぎや構成員育成のためには、洗脳教育は手段を問わない。
最近またテレビでも盛んに注意喚起されている。
情報遮断し、交際関係を制限し、そこに外郭団体や宗教で幸福になると教え込むパターンだ。
当然、ネット情報やマスコミすら信じてはならないし閲覧視聴を制限する御家庭が多い。
無駄に情報のシャワーを浴びるよりはよいのだと、宗教指導コンテンツにのめり込ませる。
そして活動家、出資者へと洗脳していく。
なにか世の中がよくなると錯覚させていくためには、現実に悪化している統計データや事例集は闇に隠蔽していく。
極めつけは、信者でないから不幸になると教え込み、幸不幸の基準を混濁させて正常な判断を故意に誤らせる。
病理が進行すると世の中が悪くなればなるほど、自分たちの宗教が正しい証明だと感じるようになる。
すでに矛盾は明らかで、世の中が悪くなっていくのを目の当たりにすることは避けられないから、悪い宗教だと判別するのは実に容易だ。
政治的に自民党神道政治を補助して儲けるのが一番なので、創価にとって善悪はどうでもよい。
有害指定とか監視対象とか適切な対応にしていくべきレベルの悪い宗教がたくさん蔓延しているので、とりたてて悪いわけではないと主張するのだが、肝心の統計データや事例集は闇に隠蔽している。
民主主義社会なら個人の人格を尊重しつつ宗教を選択するが、カルトはほぼ強制的に意志も行動も制限されるものだ。
だからこそ欧米では監視対象教団なのである。
それは信教の自由をむしろ担保するものであり、監視は権利侵害という主張は日本や途上国特有の不当な私権制限を正当化する暴論珍論である。
日本の常識はほとんどがそういう暴論珍論であり、伝統的宗教がまず脱皮する必要があるところ、富裕層特権階級や知識人の特殊な空理空論としてしか理解されていない。
人間の自然な成長を阻害する宗教洗脳教育こそ日本人の多くが苦悩している原因である。
まず常識を疑い、宗教のなんたるか、自らの思考バイアス、思い込みから自らが自由になるべく、正しい情報と正しい情報の読み取り方を学びながら成長する健全な人間を指向するべきだ。
軍事のための教育、軍事のための文化、洗脳のための平和。
創価学会の平和文化教育とは軍国主義をベースにした全体主義教育であろう。
宗教は決して善意ではない。
始祖の釈迦やキリストや日蓮には大いなる善意があったのだろう。
しかし宗教は宗教でしかない。
悪徳政治の票集め資金集めに使われるのは、悪徳政治の推進者として汚名を進んで着ることにならないのか?
党がよいことをしたことと悪いことを止められなかったことを引き算して、莫大なマイナスを眼の前にしてもなおよいことをしたと言うのは、損得勘定すらできないようなものとは言えまいか?
宗教にはよくよく注意したい。
火葬と埋葬に宗教団体への所属は必ずしも必要ない。
日々の糧を得たいのであれば、道徳倫理などを学びたいのであれば、いくらでも手段はあり豊富で多彩な専門職がいる。
せっかくの人生を日本の非常識な宗教にのめり込むのは、本来の人間の幸福とはまったく別の迷惑行為である。
成仏はおろか始祖の顔に泥を塗るのが関の山なのだ。
もし記事に反論したければ、創価学会員の精神病有病率や入院患者率、不登校引きこもり、自殺率、虐待行為を含む犯罪率、喫煙率、平均寿命その他の隠蔽している数字を挙げていただきたいものである。
事実、実証を隠さねばならないのは何故なのか?
言うまでもない。