FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

アタマがよい人はいない わるい人も変わる

高校以上の成績や稼ぎでアタマがよい人と分類するのは、ずいぶん短兵急。

昔から大器晩成という。

最近報道や動画でよく見かける泉房穂氏が言うとおり、頭のよいイメージのある成績優秀な官僚たちはあまりアタマはよくない。

官僚も子供に障害児をかかえ殺人したり離婚したり暴行事件を起こして逮捕されたり、どこから見ても普通の人でしかない。

多少裕福な家庭の育ちは多いが、人生を悠々と走りきれるかといえば、そうでもない人達も多い。

寝首を掻かれないように戦々恐々。

いつになっても子供を何人東大に合格させたという話題に飛びつく親はいるのだが、わたしの親もそういう恥ずべきパブロフの犬であったから、筆者としては、そもそも幸福の条件設定があまりにも貧弱なのだとよく識っている。

そこからアタマの良し悪しを判断するのではなく、1つは楽しく学ぶとか謙虚に学ぶ姿勢や心構え2つめは粘り強さや未知の突発的事象への対応力や度胸、それらを支えるネットワーク構築力つまり世界を結ぶ連帯力、言い換えると1つは宗教道徳倫理などの感性2つめは生命力そして地球的視野の土台たる人間の連帯行動へと向かう思考と行動まで確認できてはじめてアタマがよいと言える。

基本的に日本人はアタマが悪い。

神道ユダヤ教から脱することができてはじめて変わることができる人達ばかり。

おカネの連帯はただの損得であって健康な人間の連帯ではない。

自然の生物の成り行き任せ本能のままの生態系と大差ない。

自分の私利私欲を満たすためのアタマの使い方は、ひとつめの基準を満たさない。

2つめの生命力は、いかに広く深く他人を幸福にするかであり、ひとつめを外すと悪事を開き直る厚かましさに転ずる。

個人の資質が高い人達の連帯こそ人類の幸福さを担保するアタマのよさ。

ありのままに困窮者を見たら助けるための知識を発動するし、社会正義を害する行為に対して厳しく対処し、教育環境をベストにもっていく人間同士のつながりを大切にする。

日本人が一番避けている思考と行動パターンこそアタマのよさを引き寄せるノーマルな感性だ。

数年前、成績優秀な未成年が惨殺事件を起こしたが、知識や権力は人間を狂わせる諸刃の剣であり、大人になってから医者や公務員になってから人間性に目覚める人達もいて、それはつまり患者や国民をボロボロにして平然としている専門技術者や権力者がいかに多いかということである。

眼の前の果実をとり尽くし貪り食うことに我を忘れている元秀才たちは、およそ人倫を理解していない。

弱者を痛めつけ自己の名誉のために利用しつくせばアタマがよいと反射的に行動してしまう肉食獣的な残虐性に染まりきっている。

低次元の社会規範を生真面目に守ることに終始して、人間としての道を踏み外している自己の姿が見えない。

新自由主義に沿った成功が悪魔に魂を売った人間疎外の極悪非道な自殺行為だと考えられない。

増税をひたすら求め受け入れ続ける。

日本人の7割近くは洗脳されて正常な判断思考能力を喪失している。

2割の新自由主義推進機構の言いなり。

税金を無限に上げ続ける狂気を拝むカルト信者。

オウム真理教創価学会統一教会などの指導的立場はみんな東大京大や有名大学卒のアタマがよいとされる悪党たちであって、官僚と同じ人間の姿形をした悪魔なのだ。

アジア地域は新兵器の実験場であり、阿片、核兵器枯葉剤食品添加物新自由主義という地域を壊滅させる悪事が繰り返されている。

欧米にやりたい放題させる各国政府の責任は重大だ。

虐殺はアジア人に対してはOK。

ミャンマー軍事政権もOK。

ウクライナ人の生命は地球より重いのだから金を出せ武器も出せ。

官僚や政治家たちのアタマが悪いことに気が付くのが、ノーマルなアタマである。

官僚になりたい人は減少傾向だそうで、さすがに知識が役に立つようである。

出世しても病む悪事を徹夜でやって疲労困憊で寝首を掻かれてはたまらない。

われわれにできるのは、哀れな官僚のためにもノーマルな国民にノーマルな政治家を選ぶようにすすめ、洗脳されている国民の洗脳をとくことである。

主体的に賢明な選択行動をとれる成人の人間であれば、もっとも楽で簡単だ。

困難さや難しさは特にない。

重症国民がヒステリーや癇癪を起こしやすいことには注意しているが、織り込み済みでまったくどうでもよいのだ。