あまりにひどいデマはそれほど楽しいものとは思えない。
お寺へ行くと、高齢者障がい者ばかりで若者がいないというもの。
一方で創価学会は若者が多いとアピールしているのである。
実際はお寺はまんべんなく各年齢層が参詣している。
信心は息の長いもので高齢者になっても元気に折伏などしている姿は素晴らしい。障がい者の方々も遠慮なくお寺にあがって歓喜の功徳を満喫している。
聖教新聞座談会メンバーとしては、創価学会をアピールしたつもりなのだが、実際のところは、創価学会では障がい者は会館に集うことは難しく、高齢者になっても元気に折伏などできる会員はいないという真実をさらしている。(折伏という言葉の意味もまったく異なるが)
若者を食い物にして、長続きしない無理をさせているだけなので、会館に高齢者障がい者は滅多にいないのであろう。
そういう新興宗教というのは、統一教会と大差なくて、弱い人を足蹴にする幹部が政治家と不正利益に群がるだけが功徳なのである。
そもそも高齢者障がい者を排除して信心というその人権感覚の欠如はいくらなんでも恥ずかしいことだと思う。