謗法という言葉が転じて、日蓮宗以外はすべて悪いという前提から日蓮宗に対する批判をする組織団体を謗法団体という呼び方をするようになった。
キリスト教は謗法団体だから教会と関係者を迫害するべきだと神道に進言した。
これは神道が善なる宗教で公正と信義が成立する場合においては地域的文化性としてかろうじて理解される。
しかし現実には悪鬼神そのもので、日蓮は社に悪鬼神がいるだけだと喝破したとおり、太平洋戦争は完敗した。悪鬼神の本領は戦後くまなく発揮され、特に70年代以降の日本全体の凋落退廃ぶりはひどい。
国が鬼畜米英とマスコミ総動員で宣伝したが、今も鬼畜は神道である。
キリストは善鬼神よりは程度が高く、宗教のレベルとして日蓮とマホメットと並ぶものだ。
古代からの残虐なユダヤヒンズー神道では人類は悲惨と不幸しかない。
日蓮とマホメットとキリストを比較することに意味があるとは思えない。
たとえ日蓮やマホメットを最高位に置いても、キリスト教世界の政治システムと学術レベルが世界最高であることは間違いない。
もしキリスト教を悪として弾圧すれば、そのあおりで日蓮宗もまた弾圧される。
日蓮正宗という弱小団体ならなおさらだ。
宗教について議論して取捨選択することを禁止制限する自殺行為がキリシタン弾圧なのである。
さらに言えば、日蓮正宗の正統性が表向きのきれいごとに堕落して、もはや法論が困難になったため、少数派弾圧によって信者獲得を狙う邪悪な宗派のひとつになった。
自由公正博愛連帯という社会正義を抜きにして、一体どう折伏ができるのか?
日蓮宗全般と浄土宗各派と同様の政治的籠絡狙いで信徒を増やそうというのはもはやまっとうではない。
キリスト教世界の社会正義とアジアの仁が優劣を競い、キリスト教が勝つことは明らかだ。
法華経の救済対象が全人類で、キリスト教会が現実に人類をひろく救い、日蓮宗各派が救わないでキリシタン異端攻撃に走っているのは、釈迦法華経日蓮の教えに反する。
人権は宗教の基礎である。
人道をないがしろにした宗教の本質は野蛮だ。
尊いお題目も洗脳に使えば極悪に転ずる。
アヘン題目は断じて赦してはならない。
宗教者を安易に信用せず、しっかり教えを正しく理解しなければならない。
日蓮の誕生を祝う心もキリストの生誕を祝う心もあるが、聖職者や一般人信者に対しては慎重に丁寧に警戒するべきだ。
支離滅裂、我田引水、私利私欲ばかりで信用できない。
説法と個別指導が乖離していることがあまりに多すぎることが寺院宗教離れの一因だ。
日本の仏教徒たちがメリークリスマスというのは決して商業主義ではない。
日本の神道がメリークリスマスというのはユダヤ優先だから本心ではない。
変顔は理解不能をあらわすことが多い。
日本人は人権が政治カードや商業主義ではないことを理解する必要がある。
せっかくの日蓮の教えと大石寺を貶める愚行がキリスト教迫害キリシタン弾圧だ。
メリークリスマス。Merry Christmas!