ロシアは特別軍事作戦、NATOはロシア軍侵攻という。
ここから話し合う必要がある。
ウクライナ政府と人民がロシア軍とモスクワ政権を受け入れる前提のロシア。
ウクライナはNATOの縁者でロシアとは断絶と対立を望むゼレンスキー政権。
歴史文化宗教言語民族は重複混在し、なぜウクライナ政府が戦争を求めているのか、政治的恣意性がある。
なぜウクライナ人民がゼレンスキーを支持したかという原点はもちろん自由と民主主義だが、破壊と犠牲と悲嘆と絶望の大地を支持しているのも事実だ。
自由と民主主義のための政権なのか、手段は正しいのか、ただの愚かしい敗北しかそこにはない。
キリスト世界の一地域の内紛でもあるが、共通しているのは、多民族で複合型の統治を必要としていることから出発すべきではないか?
どの国にも多民族の要素があることから各国のネオナチを統制規制する必要はそこにある。
ロシアはもともとソ連の多様性に対応してきた大国で、その内容に改善の余地はありながら、ウクライナが独立戦争をやって勝ったとしても過去からはロシア民族や少数派に寛容で公正な統治ができるかどうか不透明だ。
だからこそモスクワとキーウの議論こそ重要で、プーチンはキーウにとどめをささなかったことが重要なのだ。
そしてこの視点はアジアの平和と安定的持続的繁栄のためにも重要だ。
ロシアの代表と地域の各国代表を兼ね、ウクライナ代表と東欧各国代表を兼ね、線引きと対立の方向性に進むのはなぜなのか?
名演説には協調共生タイプと対立排除タイプがある。
ゼレンスキーはヒトラータイプだろう。
ロシアの味方はしないが、説明責任と歴史の審判を考えるならば、プーチンのほうがレベルが高く見える。
より高次元な政治家だ。