女人根欠不生
にょにんこんけつふしょう/女人根欠不生
阿弥陀仏の西方浄土には女人と根欠(六根の状態が不完全な者)は生じないということ。
新纂浄土宗大辞典より
諸経は悪人・愚者・鈍者・女人・根欠等の者を救う秘術をば未だ説き顕はさずとおぼしめせ。法華経の一切経に勝れ候故は但此の事に侍り。而るを当世の学者、法華経をば一切経に勝れたりと讃めて、而も末代の機に叶はずと申すを皆信ずる事豈謗法の人に侍らずや。只一口におぼしめし切らせ給へ。所詮法華経の文字を破りさきなんどせんには法華経の心やぶるべからず。又世間の悪業に対して云いうとむるとも、人々用ゆべからず。只相似たる権経の義理を以て云ひうとむるにこそ、人はたぼらかさるれとおぼしめすべし。
唱法華題目抄 文応元年五月二十八日 古写本 日興筆神奈川由井氏 日蓮花押から部分引用 立正安国論はこの作の1ヶ月半程あと。
平成新編日蓮大聖人御書より
親鸞の浄土門では女性障害者を公然と差別排除し、日蓮の法華経本門ではあらゆる就職氷河のカテゴリーの人たちを確実に幸福にする。
日蓮宗の各派においても、あらゆる就職氷河のカテゴリーの人たちは差別排除される場合が実際多々あり、その思想的メカニズムは部分引用の後半「而るを」以下に詳細である。
因みに唱法華題目抄は、日蓮の代表著作10選のひとつで、十大部と呼ばれるものの1つ。
「当世」とは仏教上の末法時代、現在を指す。
「学者」とは仏教僧及び現在の新興仏教指導者を指す。
一般論として働かざる者ではなく、働けない者が相当数存在することに対する虐待虐殺の是非の根拠がここにあり、親鸞と日蓮のどちらが寒い人間に対して前向きに向き合う心を持っているかは即答できる。寒い人間に死んでしまえと言える法然親鸞はもともと無慈悲をさらしており、現代人にあっては教えが自殺教唆に類する犯罪行為ないし人道上著しい問題と理解すべきである。
有名人の自殺のきっかけに、お前が死ねばみんなが喜ぶという意味の言葉があったと報じられたが、女性に対する場合はまさに浄土の教えそのものであり、自殺教唆を正当化する教えである。
ひどい人間がいるのは、ひどい教えがあるからであり、間違った教えを信じているからである。
無自覚に浄土門を信じている、所属している、説いている人たちにあっては、よくよく賢察願いたい。
日蓮の予防線に引っ掛かる日蓮宗の人たちは即改悔改心しなければならない。