FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

日本人に多い音楽への偏見

f:id:FujiYama:20220129210545j:plainクラシック音楽の愛好家というのは、日本人の1%くらいしかいないそうだ。
もっとも少し位増えているかも知れないが。
浄土真宗日蓮正宗などでは、一時的な快楽、レジャーとしての音楽という理解をしている人が主流である。創価学会共産党支持者などは贅沢な遊びとかステイタスシンボルとかいう捉え方。
いずれも本当の音楽の価値を正しく評価していない。
例えばチャイコフスキー交響曲第6番悲愴。チャイコフスキー本人の深い苦悩が伝わってきて、聴いている側も絶望の深淵をまざまざと見つめることになる。
ラフマニノフのヴォカリーズも精神的に病んだ友人のために作曲され、やはり快楽とかレジャーとかいうものはまったく別の次元の魂だ。
音楽がさまざまな人間の心模様を描き出し、魂を高めてくれる優れた芸術的側面をきちんと正しく学んで、その効果をひろく活用できるように文化レベルを向上させるべきだ。
今もって日本人はそういう珠玉の文化芸術を特権階級の専有物にとどめているのは、本来福祉文化を向上させるべき立場の政治宗教に携わる人たちの音楽に対する偏見である。
仏教でも魂の豊潤さを表すために金銀財宝を譬えに使うが、音楽を贅沢とか特別なものとして排除する習慣がまだある。音楽は人類の共有財産であり、人間の心の財宝そのものである。
日蓮正宗に限れば、音楽を否定して題目をすすめるというのは決定的矛盾だと言える。
また、困窮者をコンサートホールから締め出すような愚策と困窮者障がい者を寺院で冷遇する無慈悲は、本質的に同じことである。
人間の苦境に役立つかどうか、そこにこそ文化芸術の存在価値がある。
一度も苦境のない人間なんて誰もいないからである。