沖縄戦の悲劇や特高警察による拷問、餓死、自決というような、とても賛成できないような歴史があった。
なぜ太平洋戦争や第二次世界大戦が起きて、悲劇となったのかを考えれば、国際正義という基準と戦争した愚劣さと一致する。
裏を返せば、正義の戦争も正しい殺人も成立する。
歴史の見方は、戦争や政変や事件ごとに一件一件異なる。
すべてが悪いのではない。
やむを得ない戦争などが多発した。
それを戦争、戦闘が悪いという主張は一体どこから出てくるのか、私はある種の不気味さを感じる。
そもそも戦時でもないのに、殺人、自殺、冤罪、人権侵害は多発しているし、その解決のための活動は下火だ。
警察がいなくても平和な日常を維持できる自信がある地域なんてほぼ地球上にはない。
軍隊軍備ゼロでは独裁者だけが力を持って人々の人権を弾圧する。
軍備も警察も必要だ。
むしろ戦闘が必要ない状況を常に維持するための努力があれば、軍事力には問題はない。
平和は戦闘によって破壊されるより、人間の心ひとつで維持できるものだと思う。
核を最小限に、軍備を国際秩序のために維持し、人類が豊かに平和な暮らしができるように、知恵をめぐらせ努力を続けるべきだと考える。
人間が自己を統制できるとは限らない。
毎日ニュースで事件や紛争を報じて、統計に数字がある。
戦争も殺人も完全になくなることはない。
戦争のない世界という幻影でみなさんを惑わす無責任な宗教家や政治家こそ、極悪非道な邪師詐欺師である。
力が悪いのではなくて、力を悪用するのが悪いのだ。
人間というのは順風満帆なときは素晴らしい生き物であり、同時にほとんどが下らない愚かな生き物でもあることを直視して、戦闘準備と平和維持に余念なく努力したい。