れいわの山本太郎さんがしきりに資本主義の歯止めの必要性を説いていた。
中途半端では資本主義政治の暴走を野放しにしてしまうという趣旨は理解できるが、一般大衆には、なにもかも管理統制される中国共産党のイメージしか湧かない。
これは問題論点が、本当はズレていて平気なだけの両者にも見える。
しかし、山本は自民党に睨みをきかせるだけでは駄目だということをよく熟知している。維新公明立民という悪質な勢力が自由だから弱者たちを殺せと脅迫しながら予算人員を懐に入れていることをしっかりと把握している。
本気度の示し方がずれたり曲解されたりしやすい表現は損だ。
大石議員のユーチューブにもコメントしたが、相当数の国民に、弱者を苦しめて死なせて平気な人達に、まっとうな政策の話は響かない。
1つは心の病が蔓延している。
さらに人情を持つ人達を洗脳したり服従させたりする宗教や政党が、子供女性障害者高齢者を苦しめるようにそそのかし続ける。
わたしは、ひっくるめて心の問題だと思っている。
人間としての基礎的な感性とも言えるが、そこをミスリードする罪深さが、1つは政治経済宗教の指導者関係者にあり、それらのムードメーカーに飼われる音楽家関係者などの芸術分野の働きだ。
みんなの眠り、惰眠、気持ちの良い酔いを醒まさないように、素晴らしい音楽や芸術がネットマスコミに散りばめられている。
ナチ下のフルトベングラーの例が日本では良く評価されることが多いことと、ドイツ日本以外の先進国ではマイナス評価になりがちなことを想起する。
国民が苦しい最中に、癒やしとして音楽や芸術を提供し、国粋として虐殺と戦争遂行勢力に擦り寄る。
どう考えても、極悪非道な薬物推奨。
戦時中に真実事実として国が違法薬物を普及させていたのと同じ効果を狙う勢力がいる。
不偏不党の公務員がほぼいないことと被る。
本来の健全な音楽芸術を知らない日本の音楽家芸術家たち。
ニセモノに酔いしれる大衆。
虐殺の手練手管のための芸術。
その心の治療こそが必要なのではなかろうか。
行政公務員(議員裁判官も含む)が民間と公平に働き且つ中立に判断するためには、まずその精神の偏りを自覚することだ。
資本主義で不幸を量産するか幸福を量産するか?
そのまっとうな判断すらできないレベルの公務員政治家が増えすぎた。
堕落した自滅日本の未来は確かに暗黒だ。
日本人がカルトについてよく研究し、国家主義、新自由主義の愚かしさをきちんと理解できるように、これからもフェアな健闘をれいわの人達に期待する。