FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

日本人から見る民族的なバイオリンの音の違い 近年のアジア勢の強さはアメリカ寄りの評価による汚濁刺激系 財閥みこし

同じバイオリンで同じ曲を弾いても、別の表現になる。

そこが民族の宗教や文化と無関係ではない場合が日本人。

中央アジアなら交錯融合していても自然なことで、それはまた別の視点から見る必要がある。

近年、筆を使う人がいなくなった。

書道ファンは使うだろうが、鉛筆すら使わない。

それでボーイングがまともにできるわけがない。

繊細さと幅広さを距離や速度の変化をつけて実技バリエーションを憶えることは、そのままバイオリンでも同じだ。

今はコンピュータ音、ボールペンだけの表現で写実的に極微細なものを重んじるから駄目だ。

あとは近年の漢民族韓民族という東アジア全般にも色彩が強過ぎる特色がある。

だから、日本人は最近の原色アニメ志向日本人としての感性が国際的にはほとんど無益だ。

ヨーロッパとアメリカで育つと、日本人でもそれほど日本的感性ではない。(アメリカのほうが原色傾向が強い)

ヨーロッパの息遣いと日本の筆遣いは、本質的には近い。大別3種類くらいで見て、流派を分類できるし、そこでは今後中華系バイオリニストも筆遣いから離れ続けていくから力強さは財力へ偏向していき、やがて評価がアメリカ寄りに陥りそれほどではなくなる。

概観すると、筆文化を保存しつつ音楽できればよい効果が期待できる。

本来は留学しなくても、すでに音楽的な感性がある。楷書から行書にかけてまんべんなくマスターしておきたい。

時間がないからといっても、一応やるべきだ。

日本人は仮名文化に限定したがると、世界では無理だ。

色彩に強いカトリック教会だけに限定する人もまた、財力や軍事力に蹂躙されながらの苦戦を強いられる。

民族や宗教の特性をよく知って、よい巡り合わせで120%咲く人類が理想である。

多国籍室内楽チームにその理想はすでにあるが。。。