ネット記事で敬老なんてできないというヤクザかチンピラみたいなご意見があった。
彼らは高齢者が人格的に優れていれば敬えるが、そうでなければ敬えないという決まり(しきたり慣習習性)のようなものがある。
その記事だけでもないし、一般的に日本人は人を敬うという場合、条件を付けて敬う。
人格の尊重も知的障害者への尊敬も、共通したレスペクトであり、その人の特性、性格、能力による差別的取扱いは非人道的な相手への侮辱であることがわからない。
高齢者に無理を強要するために、人格的な条件を要求する若者たち。
そこに疑問を感じていない大多数の日本人。
レスペクトというのは、相手の意向を尊重することを前提としているから、相手の構成要素・条件とまったく無関係な冷静で善意(愛)が客観的に証明できる応対にならなければ間違いである。
なぜ日本で安楽死法の制定が難しいのか?
こういう若者たち、日本人が多いから、彼らはサインを強要して、サインをした高齢者は人格者だというからなのだ。
危険極まりない思考思想信条の日本人である。
日本人なんて誰も信用しない。
金や事業契約がやっとである。
人間関係はまったく成立しない。
レスペクトの意味すら知らないからである。