自分の母方の祖父がよく言っていた。
「朝鮮のキムチは辛い。(日本の祖母のを指して)こんなもんではない。」
まだ幼稚園や小学校の頃にはまるでよく判らない。ぬか漬けのきゅうりやサバなら美味しいが、その頃は祖母のキムチが最高度の辛さで、美味しいかどうかのほうが大切なのではないかと。辛いものは子供が食べると良くないというし。
今までで辛さが段違いだったのは学生時代のカレーココイチくらいで、1番甘いもので1番辛いと思った。3辛は一口しか食べられない。
兎にも角にも八幡製鐵所の駐在を平壌近郊でやっていた昔話の一旦だった。
その後フィリピンへ出征させられたあと、平壌近郊に残っていた祖母は終戦あたりに帰国するが、私に現地会報の話も思い出してしていた。
日本人会があって、親身に助け合い、無事帰国できたのだと語る。見つからないように山の中を歩いて逃げて、南朝鮮のなんとかいう宿で南京虫にやられ、日本に入国する際はまだ20代の美白の美女が素っ裸にされて消毒粉を吹き掛けられたとか。
良家の駐在員妻惨憺たり命懸け。
幼き二人の子を連れて。
ある日、海外で私はおすすめの日本食材店を訪れる。
調理が不要な珍しいものをと目を凝らしてなにかと面白がって眺めてみたら、辛子明太子となんとキムチが何種類もあってどうやら自家製のものもある。
これは、いわゆる朝鮮の伝統的な味のキムチであろう。
そうして食べてみてなるほど1辛くらいでちょうどいい。
なんでも程々がよくて、ココイチは病的じゃないかとふと思った。
ほぼ味の素とおぼしき味もしないし、しばらくしてからジワジワくる辛さが味わい深い。
素朴なキムチが本物なのだろう。
祖父も命懸けで帰国したが、その両者が大切に育ててくれた我が命を思い粗末にできない。
祖父は人道的な捕虜の取り扱いによって生還した。
そうでなければ私は存在していない。
ここがひとつの神の選別理由である。
少なくともレベルの違いは如実である。
何十年も昔の話を思い出しながら、確かめたいなと食べてみる。
なるほどなと祖父母に心で報告する。
これから先、いつどこで誰が拉致され、どの船が拿捕され、どのマンションにミサイルが命中するかなんてわからない。
今、難民に冷酷な政府の対応なんて恥ずかしいと思う。かつて捕虜に非人道的処遇で悪名を轟かせ、今実習生などと姑息なやり方で、次はと狙うようなエリートではいけないと思う。
誰でも豊かに安心して暮らしたいからこそ、占領統治は人道的にしておくべきなのだ。
国内でも同じだ。
終戦頃に道を普通に歩いて列車を利用して帰国できなかった祖母と叔父叔母もまた国家神道の犠牲者だ。
身分や選挙権はあっても決定権がない。
怯えて一般朝鮮人の報復を恐れなければならなかった。
朝鮮人文化理解が進むようにという動きがあっても、統治が御粗末では国民が大変だったし、結局今もまだまだ進化しきれないところがある。
国際的な文化理解が大切だと言われるのはいつも同じなのだが、まず第一に日本人が機会均等にみんな努力できる平和インフラがまだまだと言わざるを得ない。