多数派や権限になびくと、確実に個の尊重ができない。確実に踏みにじる。
少数派だけでなく、個の尊重、自由意志を尊重する前提を踏み外して、権力や宗教に従えという前近代的な和、協調性には、中国共産党と同じ重大な人権問題と共通するものがある。
個性を認めずに従えという同調圧力は、人間の幸福の敵である。
「和」「協調性」という単語は現代日本においてはネガティブな言葉だ。
人間としての前提がある人同士であっても、すでに忍耐しながら努力を重ねているものに、さらに和や協調性として政治的圧力、宗教の強要をする日本人たちは、未開人なのだ。
例えばユダヤ人からキリスト教に改宗したりキリスト教を正しく理解したりする人達は、確実に進化した人間であり人類だ。
学習中のヒト生物が多いから、全ヒト生物が進化するとは思えないが、神道には人間のノーマルな魂を学ぶ心がほぼない。
人類史を大きい区分けでみると、学ぶべき時期とツボを意識的に避けていることが明らかだ。
太平洋戦争当時と同じように政治宗教的な問題で、個人個人を苦しめ死傷させる日本人に賛同したり支援したりすることは断じてできない。
個人個人の自由意志、個性を尊重できない北朝鮮型の政治医療など人間として許してはならない。
年金や給与水準も協調性で抑制している。
「みんな大変なんだから」
その未開人達の合い言葉を聞くといつも思う。
日本人は病んでいる。
日本人の敵は日本人、日本の宗教、日本の政治だ。