FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

インド病みつきタイプ?

80年頃まだ日本が元気だったころに親戚のおじさんがインドによく出張に行っていた。

まだ幼稚園時の私にいろいろと楽し気に話をしてくれた。

もうずいぶん前に無くしてしまったが、出張のお土産にサンゴのカケラをくださったことが懐かしい。

そのおじさんが勤めていた会社が2011年頃相次いで現地法人を設立。

年齢からもうとっくに退職しているが、ずいぶんと長い足取りがあるものだ。

インド特有の匂いや人の感性におじさんはしびれたらしくもうやめられないと病みつき感を語った。

まったく受け付けない拒絶肌のタイプもいるから、そこのところが人材の適材適所であり、今に至る日印の関係の緊密さと親密さの土台になってきている。

撤退する日本企業は拒絶肌の相性で文化という感性的なものと制度的なものの両方で適応し合わない場合なのだろう。

もはやインドが人件費の安い世界の工場の第一候補、筆頭出世頭の時代に入っているのだが、ヒンズーや感染症蔓延の土地がらで複雑に特有の経済行政制度の中ででも、優秀な病みつき人材が活躍すれば投資先としてかなり有望だと言える。

中国の政治よりはまだ危険度が低い状況が何もなければこの先20年くらい期待される。

インドで半導体など製造業が増えるのは、中国一強を緩和して望ましい。

そもそも地球文明の起点をエジプトイスラエル近辺にとるか、インドにとるか並立だという見方すら存在しており、インドの奥深さは底知れないほどの叡智を感じさせる。

イスラエルが表に出ない割に影響力を持っていること、華僑が共産党と別に永きに世界を暗躍していることから見ると、まだまだこれからではあるが、すごいことになりそうだ。

親戚のおじさんがラガービールを飲みながら機嫌よく話していた内容は幼稚園児にはさっぱり理解できなかったが、わたしがもうひとつのインドのイメージにいつか記事にしたインド音楽がある。

インドの伝統音楽でそれをバイオリンで演奏しているものが強い印象で、奏法(ビブラートや節回し)が独特なので病みつきになるという表現がまさにドンピシャリで、西洋一辺倒か中国に媚びへつらうかという見苦しい日本人が致し方なくつらい思いをしているのだろうが、インドという原点を悠久の日本史で忘れるわけにはいかない。

中国泉州琉球の歴史を考えてもインド、仏教史シルクロードを考えてもインド、かなりの独特な日本という思い込みすら浮き立つ。

日本固有のという表現が好きな人が多いが、実際はそんなものは東ユーラシア文化の融合形に過ぎない。

日本人がもしバイオリンを学ぼうと思ったら、感覚的には本当は二胡馬頭琴を聴いて、突き詰めればインド伝統音楽のバイオリン奏法と楽曲を学ぶのが本流ではないかとすら思う。

経済動向、国際関係を最先端で見据えることの重要性の前提や土台としての文化交流、相互影響力や親近感というところに、時折でも立ち帰るひと時を持ちたいものだ。

私がヨーロッパ志向であることは間違いないが、日本人として感じるものはインド文化の親近感をベースにして開花したところの西洋バイオリンなのである。

古代九州の軍港や交易港堺ルーツの親戚がいやが上にも人類史のロマンをかき立てる。

少し複雑な感性かもしれないが、世界人類の感性でもある。