FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

マリオネットが目を覚ましつつある バイオリン講師に何を学ぶか

バイオリンばかりに興味関心があるのは48年変わらない。死後も弾こうと思うし、生まれ変わったら西ヨーロッパで美白な貴公子になってバイオリンを弾きたい。

もともとバッハ、ベートーベン、ドヴォルザークサラサーテモーツァルト、ラロ、メンデルスゾーンなどなどの奏法の基礎を知っている。
ここ8年ほどマリオネットになっていたため、右手首や指を固定して弾いたり、楽器の構えを無理に起こして弾いたり、ギクシャクしている。
ここ8年というのは、東京へ来て断続的にレッスンを受けた期間だ。
とにかく基礎を学ぶ機会が欲しいのが自然なので、貪欲に基礎を求めた。
講師たちは、わたしの基礎を崩して、音程をとれなくしたり、滑らかで濃厚なボーイングを壊したり、まあ散々な目にあう。
モーツァルトボーイングまでわからない人とかできない人という誤った評価が続いている。
直弟子のスズキメソッドと老舗社会人オケのレベルはプロと大差ない。
もともと協奏曲やソナタレベルなら既に完成している。
講師の仕事は本来のレベルを回復させることなのであるが、姿勢から持ち方まで破壊した。
育てるつもりがある講師はほぼいないのではないかと思う。
無理に楽器を起こして固定するのは、左腕左手の形をすべておかしくする。
ボーイングは世界のレベルの50%以上は余裕で弾ける。
今、わたしが指導されている内容が初心者と同じであるのは、講師がまったく育てる気がない証拠なのではないかと解釈することもできる。
結局のところ、無駄に労力を使うばかり。
練習は効率よく出来ない箇所が出来るようになるためだけにやる。
まじめな練習は上達する練習でなければならない。
あまりに無駄が多く、その原因が講師たちの間違いにあることは明白だった。
上達に必要なコツだけ覚えればよい。
左腕左手の回復だけでも大変なことになった。
伝統的奏法が出来る程度は常識である。
出身地は関係なく東京で教えている講師たちの大半とは相性が最悪だということである。
いかに古典音楽を教えて、自然に奏法を身に付けさせるかという技量に欠ける面と、上級者の不調を見抜けず揚げ足を取り、不調な演奏を上手と煽てるような噛み合わないやり取りを重ねると嫌気がさしてくる。
鎌倉古文をスラスラ読めたら古典を理解しているという程度のプロは、まさにニセモノ。
創価学会レベルのカルトや悪徳商法の類いとそれほど変わらない。
能天気なアホがニセモノに騙されて喜んでいる。
日米の同盟は推奨しても、浅い歴史観の新興カルトレベルのクラシック音楽はダメだ。
日欧の古く硬派な古典こそホンモノである。
宗教と同様、文化にも浅深、高低、大小などがあり、講師が浅い小さな低い世界観で生徒たちを潰していく現実は憂慮すべきだ。
音大における教育の間違いをきちんと指摘できる仁が皆無であることも深刻だ。
お遊びは私立の専門学校で充分だ。
講師の言うことに忠実でも音楽はわかるようにはならないし楽器はうまくならない。
わたしが弾けるのはもともと弾けているものの何割かの技量しか使っていない。
生まれもっているものが最強なのだ。
手間隙かけて文化に触れるだけではなく、骨髄が文化であるかどうか?
下手な石膏か表面の粗探しみたいな東京の音楽文化のレベルは重症である。
暇でゆとりのあるカモはいくらでも転がっている。