高校の修学旅行が中国で、86年だったか高知学芸高校が上海蘇州あたりで列車事故に見舞われて28人もなくなった後数年しかたっていない。
交渉では日中友好と言えば賠償金を誤魔化せるという中国側の厚かましさだけが浮き立ったのかと言えばそうではなく、日本側にも高校生の28人くらい死んだって不問ですよという不届きな学校関係者がいたということである。
高知学芸高校のことは実際デリケートなのでそれ以上は触れたくないが、私も実験台にされた一人であるから、事故そのものに合わなかっただけで、同じ一度は死んだような立場である。
本記事はジャパニーズゴーストストーリーなのかもしれない。
実はその3年前にラボパーティーのキャンプでご一緒した当時の友人が高知学芸高校に姉が在籍していたとかいう話があったりして、実際複雑な心境だった。
北京の中心部がとにかく大きくて日本の都心や大通りで比較ができるのが札幌の大通りか、距離まで考えるととても比較にならないことに驚いた。
しかし、そんな規模は予測の範囲内で、むしろ旅客機の不衛生さにまずはビビった。
自然豊かな空気感で、かすかに異臭が漂いつつハエが・・・。
それがなんと北京への国際線。北京上海間も上海福岡間もそれほど変わらない空気感だった。
この飛行機飛ぶのか?誰かがつぶやいてどこかで噴き出す。
滑走路から機体が浮いた瞬間、どよめきと拍手が起こり、生きた心地がしないフライトは良くない。
まだ経済は49%までしか株式を買えない全国有企業の時代。
北京上海のオークラもニューオータニも中華企業だった。
蘇州はただひたすら田舎で、地平線はアメリカで見たよりも湿気と黄色がかったグレーのイメージが残っている。
今グーグルマップを見ると高速道路が網羅されていて同じ蘇州とはまったく思えない。
当時は上海から市街地を出ると、未舗装の土の道路が延々と続いていて、景色は水田と大きな湖が見渡す限りで、なんとのどかなと思った。
道端に水牛がねそべって、編み笠をかぶった農民が歩いていたりする。
恐怖心からわたしはパスしたが、公衆トイレに紙がなく、縄がぶらさがっていたそうである。
みんなで同じ縄を大切に使うそうだ。
最高級の料理が振る舞われて、それはそれは円卓一杯のもてなしだったが、淡水魚の料理に誰も慣れていないから、手つかずで随分ともったいないことになった皿がたくさんあったように記憶している。
アメリカで食事が口に合わない時に役に立ったのは、日清シーフードヌードル。
この時も、ホテルでズルズルと腹を満たした。
しかし北京ダックは味噌文化の日本人としてとても参考になった。
北京は雨だった。
しかし特製の味噌ダレがやけに記憶に焼き付いた。
なんだこれは?
今までに食べたことのない味ではあるが、確かに日本と製法ベースが同じ味噌で、紹興酒的な主張の仕方に少し似て独特ではあるが、食べられないような変なものではなかった。
かなり高級な手の入ったものだということは間違いない味だった。
ある外国人観光客向けの土産物店の路傍で販売していたジャスミン茶のティーパックを買って帰って飲んだら、それはそれは香りの高いよいお茶で期待をはるかに上回るものだった。
今もアステラスの社員が逮捕されたりして、よく理解できない政治状況は続いている。
当時もバスガイドが無言で会話禁止という、政治工作員みたいな同行添乗者がいたことが記憶にある。
なぜ、友好という看板で無言なのか未だに理解できず、それは虚飾の政治的欺瞞ではないかと今は喝破している。
アメリカのご機嫌とりと上納金も大変なのに、中国も死んでも知らないに近い状況が今も続いているのは、日本人の不幸だろうと思う。
日中関係が難しいのは、ずっと数千年変わらないのだが、いくらかでもマシだった時代があるので、友好は目指してもおかしくないが、この数十年はまったく友好など影も形もない。
商業上の政治ルートとして友好を打ち出しているだけにとどまっている。
今は更に悪化しつつあるから、本当に条約は破棄して再締結の条約案でも考えた方がマシではないかと思う。
ただ破棄になるのを待っているような危険な状況は好ましくない。
経済安全保障から考える限界は、その程度でしかない。
本来的な友好なら日中軍事同盟で対欧米に開戦しかねないから、アメリカは躍起になって日本を取り込むのが流れで致し方ない。
しばらくお預けの日中友好条約が宙に浮いて今にも撃墜されそうな気球に見えてくる。
政治的アドバルーンのむなしさよ。
ここまで大発展しても中国は日本をカモにしかしない。
みんなインドや他の地域にシフトを始めたが、いかに大国といえど傲慢であるとそれは因果応報のうちなのではないかと感慨をもつ。
もう一度蘇州に行きたいかと言われたら、もう結構だという。
しかし奥地の秘境や歴史的な遺跡やチベットなら行ってみたい気もしないではない。
それも、今の政治状況では危険なので叶わない夢の1つに終わりそうだ。
そういう悪い政治状況を助けている売国的な日本人がいることが一番気がかりである。
あれから二十年経ったが、相も変わらず日本の自称保守は保守ではなく私利私欲でしかないようにお見受けしている。