数年間お世話になった先生と物理的に離れてしまった。バイオリンは主に西洋の楽器のイメージだが、本当はそんなことはなくて日本文化で弾く人がいても良いはずなのだが、残念ながら舶来品贅沢品としてしかも日本文化との相性が宗教も含めて特殊化してしまっている。
生真面目にメトロノームとチューナーでやらなければならないかのような日本的バイオリン、日本的クラシック音楽は、本来の西洋音楽とは異なる。
私は呼吸であわせる西洋音楽オリジナルに興味がある。
ここ3年足らずお世話になった先生は両方をわかる方だったかといえば、かなり日本寄りだったと思う。その一般的ミュージシャンの素養は広くかなり強い。芸術や音楽については言及できるほどは存じ上げないし、またそんな立場でもない。
これからはヨーロッパで長くクラシックを勉強した先生にお願いすることになり、現在はその先生に興味津々。
スズキメソッド直弟子の亜流(スズキベース)が最初だった私には、正統のクラシックの見極めをとても大切に感じる。
言葉も自由という単語の意味合いがまったく違う。
無意識に日本的というかインド的というか幾種か混合していて、様々な言葉の捉え方、解釈を西洋クラシック音楽に即して聴けるかなと今からちょっと心配な気がする。西洋の歴史の変遷と無関係でもなく、それらを感性で捉えて表現することが出来るように。
どんな感性でどんな言葉をどんなふうに使う方なのかなとか、実演してみせて伝え教える頻度やタイミングはどんな先生だろうかとか、楽しみで仕方ないけれども、上達を本来の楽しみにすることを忘れないようにしなければならないなあと、過去を反省することしきりである。(たいそうなようでシンプルに基礎的なところが未熟)
生粋の日本人講師の音楽教育上の課題なんて言っても伝わらないから、素人考え下手の横好きからは、はやいうちから西洋で勉強した先生につくほうが上達には確実に違いない。
そうはいっても日本寄りのバイオリン弾きでも西洋の楽曲の基礎ルールをいちいち教えてくださっていた今までの先生には兎にも角にも感謝しきりである。
バイオリン演奏そのものについて自分は完璧とは思えない段階ではあるものの、微妙に構えが楽になって、左手の角度は修正中ですでに感じるものがあり、右手の課題がおぼろげに見えてきた。
メッセンジャーが使えなかったので、自分なりに書きとめて気持ちを整理しておきたいと思った。
あれやこれや音楽を楽しむためバイオリンを楽しむための豆知識も惜しみなく伝えてくださった優しい先生。キャラが素敵でとっても親切な先生がもっともっと評価されて、ますますご活躍なさいますように心よりお祈り申し上げます。