誰が言っていたのかと言えば、スズキの皇室に媚びる経営側講師たちを含む指導者を中心にしていた。
ボーイングのやり方は、ほんとうは人の歌声と同じだから、強く当てて擦るのは間違いである。
よくある努力しなければという宗教道徳みたいな話は音楽には有害だ。
やけにアクセントをつけたり、つまり狭い会場ですらガンガン鳴らしたり、必要以上に弓毛を押しつけて擦る。
強い意志で困難を乗り越えることは、一見美徳で素晴らしいとも言える。
しかしながら、故意に政治的な意図をもって、つまり利権のためにそのような指導を指導者組織、コミュニティとして繰り返してきた日本人講師たちは、そもそも音楽を理解できていない。
音楽は人間性である。
人間の歌声、発音、声量の微妙な表現をいかに繊細かつ大胆に伝えるか?
それをボーイングとフィンガリングの妙、バイオリンと伴奏や音響との妙で創造するノウハウを総合的に育成するべきが講師の本職だ。
イジメが本心、本職、本性の日本人には、音楽は不向きだ。
私は歌が好きだ。
それは、目下の生き物を愛でることと同義である。
子守歌、癒やし、励ましなどの人間の声と同じようにバイオリンを弾きたいだけなのだ。
それは、ただ人間でありたいという願いであり、みんなが幸福になりゆくように永遠に願うことでもある。
自分はもう希望を持てないような状況であってもそれはいつも同じである。
そもそも東洋の出家の心はそうだし、西洋にその利他の魂があれば弱いと見るのは明らかな間違いそのものである。
バイオリン(音楽)は、ある程度の空間で音の透き通り具合、通り具合を視ながら音を造る。
その加減が技量だから、舘氏曰く「強く強く!!」なんてアホらしい。
うるさい、きたない、耳ざわりである。
バイオリン(音楽)は、優しい音、澄んだ音が絶対条件だから。
私は毎日ホールで練習できたら上達するだろうと確信している。
弱い音はピアノの指示で使えるもので否定の必要はなく、強い音は広い空間でなければ耳にも周囲にも悪い。
欧米諸国と何が違うのか、なぜ日本人は上手くならないのか専門家コースで考える人は参考に。
社会的地位のための賄賂コースで音楽にはとてもとてもならない。
話にならない。