FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

一般家庭、優秀な高学歴しか差別しない

生活保護母子世帯の人が、奨学金を申し込んだが、選考から漏れ続けたケース。

 当事者が面接で言われた忘れられない言葉があるとのこと。「貧困は連鎖する。生活保護を受給している世帯の子どもでは奨学金は返ってこないし、中退されても困る」。

そういうことは言ってはならないとわからないのは、面接官、つまり高学歴一般家庭の人だ。

生活保護からなんとか大学に進学した人が、急に生活保護受給者をきつく批判するようになることもある。

女性差別に似ていて、成功者になるためには、女性を排除したりイジメたりする。

いずれも日本独自の悪しき単一基準、単一規範だ。

皇室が知的障がい者と婚姻関係を結ぶくらいのインパクトあるイニシアチブをとらなければ、おそらく日本人は目下弱者に優しげに踏みつけるだけだろう。

口や、その時だけなら、なんとでも立派なことはできるが。。。。

そのほうが悪い。

手助けは継続的でなければかえって残虐だ。

弱者を痛めつけているのだから、弱者の側が続かないのではなく一般が弱者を支援し続けられないだけ。

支援する側がボケているから、日本の困窮者はとんでもなく悲惨であろう。

あるベルギー在住の武道の教室でも、生活保護世帯への憎しみにも似た日本人の残虐さを公表していた。ブログに、無償化手続きの面倒さとお月謝が公的に教室へ振り込まれるまでのラグをボヤいて、生活保護を過剰なほど警戒、イヤイヤ子供に教えている。

ノウハウを学ぶ必要性を喜びに感じられる人間と、貧乏人は面倒だという日本人は好対照である。

私がもし空手教室をベルギーでやるなら、手続きを憶えて担当窓口とのやりとりくらいはやるだろうし、厄介者扱いはしない。

結局、日本人がいくら欧米諸国へ行ってもイエローなわけである。

空手教室というより日本文化や日本人特有のイジメ感覚はむしろマジメさだと思い込んでいるフシがある。

日本人は困窮者に弱い遺伝子を持ち、屈強な武闘家にはひ弱さが連鎖する。

帰化しても、異質なままで中退どころかそもそも文化的感覚的に入っていない。

其のたぐいの日本人とはなるべく会いたくない。

キリスト者は優しく弱いのではない。

最も強いが故にこそ、希望者全員を専門家が大切に育てる。

そして、そこに学べば宗教はあまり関係ないのだが、キリスト教を否定する場合には勿論不可能となる。

弱いからこそキリスト教を否定するのである。

ミッションスクールを卒業しても、キリスト者であり続けられる日本人なんてほとんど見たことも聞いたこともないような気がするのだが。

弱い人は弱いものイジメに転じる。

それがカルトやユダヤ神道だ。