だから、労働者が1番エライと主張するのも当然の流れ。
しかし、高齢者障害者イジメと富裕層攻撃のワンパターン戦術で政治離れは定着気味だ。
高齢者障害者世帯の割合は何割か考えていないからバッシングする。
理性がない感情論ばかり。
労働党が主張するのは感情的バッシングだけ。
ようやく政権をとっても、そんな連中がまともに政治などできるわけがない。
政治的混乱のドサクサで国民生活がさらに悪化する施策が増えた。
しかも説得力がないから野党落ちした資本党から正論の感情的バッシングを受ける有り様。
資本党は政権回復後、抜け目なく貧困層高齢者障害者に給付を継続した。
さて、はやい話ルサンチマン(恨みの煽り)で政権を狙う手法や魂胆が見え見えすぎて、誰も期待できないのではないか?
維新も新政党も困窮者虐待のための低次元な政策ばかり。
みんな丸く治めるという感性が必要だ。
そして、地方自治の段階でそもそもみんなを丸く治める政治家がいないからこそ、現下の好ましからざる低賃金高負担納税の流れがあるのではないか?
恨みを解消するための政治、政治家ではなく、個人の恨みはより健康に健全な解消を本人がするべきであり、場合によっては治療も必要だ。
暴力的な政治よりは、弱者のために施す政治で、地域が穏やかに丸く治まるほうが、平和に暮らす権利は護られる。
その逆を主張する短絡的感情論を公の議会などでさらす恥ずかしい日本人たちは、世界人類の恥である。
朝鮮人虐殺の現代版を彼らは望んでいる。
民意は恨みの発露より弱者への手当である。
結局労働者も高齢者障害者になりゆく運命なのに、そもそも論理破綻しているのだ。
クレイジーな馬鹿げた議員が発生しているのは、急進過激派が徒党を組んでいる証拠で、正しく民意を反映する政治家が誰なのか国民はよく見極めなければ、さらに恨みに生きる不幸な民族を窮めることになる。
落ち着いて考える必要がある。