防衛力は国民生活の安寧のためにあるのかと言えば、必ずしもそうはならない。
ウクライナが軍備拡張の結果軍事進攻されただけではなく、大戦前の世界は軍備拡張がはびこる。
防衛力にしぼることもしないので、軍拡路線そのものだ。
まともに高等教育を受けられない国で、さらに生活が逼迫し、戦中の特高のような拷問虐殺事件も発生している。
自由と正義と連帯や平等をすべて軍拡のために税負担させ過酷な就労を義務付けるので、日本人は3%のゆとりある世帯以外はみんな悲惨である。
自分の目下や劣等な人たちに威張り散らすようなにわか曹長、伍長たちが急増している。
神道を拝むとみんな不幸になる。
神道にへつらうとみんな貧乏性、貧乏ゆすりばかりである。
みんなで悲惨さを弱者に押し付ける。
自殺や事件の手前の家庭や教育や保護にあたる大人の退廃ぶりは目をおおわんばかりである。
欧米にへつらうだけの世界の浮草である日本の官僚や財閥は難民的地位にあり、さらに日本国内では政府による難民棄民爆誕政策が重ねられ、暴力虐待虐殺が日常の案件となっていて、さらにそれらを悪化させるだけの政府岸田政権はなぜ逮捕起訴されないのだろうか?
政治の悪化に対する声も議論も、神道による軍拡キャンペーンですべて無視している。
国民に対するネグレクトであり、中流以下に対する経済虐待であり、憲法批准条約の各条文に明確に違反している。
まともな勤労者がいなくなるやうに経済侵略させるだけさせておいて日本人の敵は日本政府と財閥軍閥政治なのだ。
海外からの難民を無視してきた日本人、障がい者困窮者を排除してきた日本人が、国内でもこれから大量にむごい死にかたをすることになるのも因果応報なのかもしれない。