本格攻勢に出始めたロシア軍と崩壊寸前のウクライナ軍
損耗著しいウクライナ兵に代わりNATO軍兵士も戦闘参加
2022.12.21(水)
矢野 義昭
という記事は、かなり実際に近い戦況について書かれており、概略わたしの5月の記事に近いところがある。
どんなに西側が法正義をマスコミで流しても、一方的な主観の主張にすぎない。
ロシアは大国であり、経済規模が小さいという主張は実体と違う。みんな額面に騙されるが、経済は人モノサービスであり、極論すると全員がすべてをボランティアすれば通貨貨幣はゼロの経済が実現するから、経済規模が大きいというのはボランティアする額面換算がとことん減った状態でもあり、みんなが怠惰に堕落してお金を貰わないと何もしない状態を示している。
これはロシア正教会だけではない世界の宗教や道徳を学んだ人なら気が付いていることで、そこを突けば突いただけ献金額が増えるのは世界共通なのだ。
その精神構造で国全体が動くロシアは経済規模が小さく換算される経済で、実際は大国だ。
献金額はそこそこに、国のために献身させ、科学技術開発、資源エネルギー、紛争処理の実働稼働能力、国勢を維持するという目標が達成されている。
残念なことにロシア中国インドイラン等では個人の尊厳は国家のため国家とともにしか認められない価値観が強要されている。
一人一人がいくら自由を求めても、すべては国のため。
国のためにならない高齢者障がい者貧困層は酒と犯罪と薬と殺処分の流れが自然なもの。動物が歩けなくなったら死ぬというのはどこも同じだ。
西側カトリックプロテスタントの国々ではその弱者たちを平和のうちに守ろうとする。
日本はどちらかと言えば、ロシア中国インド北朝鮮等に近い。
自由を標榜しているし、実際自由に生活している人たちがいて、しかしそれは富裕層や不労所得があるからで、せいぜい衣食住のいくらかを選べる程度にとどまる。
未開の国々は大抵、国権、軍事力、階級という力の上下関係を絶対視する文化であり、差別と戦争は正義だ。
自由平等公正連帯という価値観には上下関係は馴染まない。
個人の尊厳あっての人間であり、尊厳から議論をすれば命令や服従などありえない。
個人の幸福のために公正さを重んじて連帯し情報を公開して現在の政治を修正する。
この個人と国家の関係があまりに違うことに全体主義の国々の国民はわずかに気が付いてきているが、革命や変革は起きそうにない。
自由主義はしかし資本主義の残虐性を克服しきれておらず、不幸や諸問題群は山積しているにもかかわらずお金にならないことは誰も取り組まない。実際多くは自由に堕落している。大衆芸能と商業主義がはびこって生きる意味など感じられずに自由意志として低賃金労働を強いられる逆転同化現象が現出している。
結局、自由主義の指導者たちは大衆を幸福にする枠組みを維持することしかできない。
そこに軍事全体主義国家が不変の暴虐を重ねる構図で、そのことは皮肉にも世界経済の全体統制を未完にして人類のわずかな希望をそこに残している。
政治に改善の余地は常に生まれていて、それを放置しているところに軍事侵攻がなされるのは、数千年不変なのだ。
隙あり一本で確実な平和は政治のたゆまぬ努力からしかない。
せっかくの自由平等公正連帯などの素晴らしい価値観を現実化するために、軍事国家の動きを封じるために、なにが確実に有効なのか?
軍事力による対抗軸では終わりのない戦乱の人類史になる。
人間の尊厳を起点とした現実の交渉と協調、共存共栄の魂こそ政治家に求められている。
大衆を犠牲にするだけで英雄だと勘違いし、戦争を大衆に義務付ける奴隷商人たちは政治を最低レベルにとどめている。
増税、軍拡、虐待、不正、汚職、日本の改憲論はそのあらわれである。
法正義は矮小化され私利私欲が個人主義を蹂躙し、国民大衆の幸福追求は今の日本では困難だ。
そこが軍拡開戦するかどうか以前の人間の不幸であり闘いの核心だろう。
もちろん人間以前の日本人たちは虐待虐殺の行為主体者である自覚はない。
政治経済が馬鹿によって動かされ馬鹿が幸せになり人間が不幸になる日本。
世界の大衆の苦しみ哀しみを思えば、日本政府が人間としての尊厳を顧みるのは当然だ。
しかし日本にはその人間としての器量がない。
地球の全体観に国民大衆の犠牲と虐待虐殺を含む人類の政治レベルもまた修正されてよい。
強固な信頼関係の礎は共同体と共同体の交流と親交の積み重ね。
人間と人間としての出会いと尊敬と忌憚のない会話。
その基本がない外交は日米間日中間も同じ危機的状況だ。
バイデン大統領をホテルに宿泊させて日米同盟の危殆を感じないのはおかしい。
歓待ポーズ、歓迎パフォーマンスは相手を疲労させ敬意に欠けることが頻発する。
一緒に温泉に入ったり下町のおすすめ店に行ったり、政治レベルを人間に持っていく努力が必要だ。
マフィアやビジネスマンの御多忙感覚でカネだけの冷酷非情な外交が日常化し、次の戦争ビジネスを企む。
平和志向のクラシック系コンサートをスケジュールに入れてもよい。
とにかく政治を人間の豊かな心をもって行うために、あらゆる努力を怠ってはならない。
ひとつの間違いで数百万人から数千万人が犠牲になり、最悪の場合が常に存在していることへ丁寧に対応し続ける必要があるからだ。
すべては国のためではなく、みんなそれぞれが幸福になるために。
相互不可侵と自由と連帯で人類に希望を。
戦乱で団結するよりも建設的会合で市民の平穏な生活を目指すための議論が待ち望まれている。
今これからは枢軸への敵対より抱き込み抱き落としだ。
説得、明示、交流、共有、議論、公開、それら具体的行動への支援体勢を構築しなければ、犠牲を減らすことはできないし、悪の枢軸への敵対行為という仮面の暴虐は避けられない。
公正さは戦争によってではなく、平和的行動によってしか実現しない。
両陣営ともに戦争ありきで考えないというのは、理知的な人類とは言い難い。
冒頭引用したようにウクライナは確実に敗け、世界は混乱と犠牲から回復できない。
正義や公正が敗けるのではない。
戦争という手段そのものが人類の敗けなのである。