幼少期はふわふわの肩当てで、クンのクッション付、ビバラムジカクッション付、マッハワンと何種類か使ってみて、肩当てを換える意味がないことに気が付く。
音の違いで選ぶのが1番。
次にクッションで選ぶのがよい。
それで選んだら、あとは正確な音程と自在な弓遣いを覚える。覚えるまでは多少力が入るものだが覚えたら余計な力が抜けるように工夫する。幼少期なんて肩当ての選択権があろうはずもない。
そしてしっかりした自信ができたら、その時には肩当てと自分の身体の接触感が安定しているので、どの肩当てでも弾けるということがわかり、さらに接触感のベストはどの肩当てでもなく、肩当てなしで直接構えるのが最高だとなる。
楽器の弦に弓を載せる感覚をよりストレートダイレクトに、弦ではなく身体に弓を載せるようなぴったりした感覚。
バイオリンのある著名な先生がオーケストラで弾き振りをしていた時、肩当てをしていなかった。3プルートからその指揮台の上の先生を観ながら弾いていて、あっ、あれかと思ったのは、33年前だった。
数年前から講師で肩当てなしの人がいたので、試しにやってみたら、まだムリだった。
昨日やってみたら、あまりにフィットして超合金ロボットの合体より快感を覚えた。
バイオリンの角度はフィットする角度に微調整されるが、角度が何度とかいう無意味なことはどうでもよい。
G線で最も急傾斜を要する角度に合わせる。(インド伝統音楽バイオリンではG線だけ構えをかえて弾くが、西洋ではG基準で身体を少し丸めたり起こしたりして柔軟に変化させる弾き方があるがそれが垂直に近い構えとなる)
1番よい音が肩当てなしだということには数年前に気が付いていたが、今までよりバイオリンと一体化して弓がノる。
指は正確にまめる。
これこそバイオリンの路線が見えた。
まだまだマスターはしていないが、一直線上になにがあるのかすでに見えたら、音階もエチュードも楽しいものだと思う。
逆にこんな誰でも弾けるもので生きていくのは大変だなと考えるのが自然だろうと思うが、むしろ東アジア地域の精神的進化があれば、バイオリン弾きは全然足りない。
ケチな仕事の奪い合い蹴落としばかりの悲惨な音楽家を作らないように、日本の指導階層はよくよく考えるべきだ。
バイオリンの構えひとつで、出てくる音、演奏はずいぶん決まっている。
きちんとした指導者と教室を選んで、誰でも弾ける楽しい楽器をみなさんが楽しめる地球になってほしい。
詐欺とインチキと偏見とヘタと不幸には原因がある。