FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

流派と向き不向きがあるバイオリン(構えと序列階級の不思議な一致)

構えから先生によって教える格好が違う。
弓の持ち方はまさに流派で3通りプラスバロックの計4派。
音楽の流派は専門性が高くて難しく、弓の流派もここでは触れない。

数年前、桐朋卒の変なおばさん講師にバイオリンは平らに構えるように言われたことがある。
わたしはバイオリンは縦に床に垂直に近い構えが基準で、フレーズやE線を弾くときにいくらか45度角に近くなるが、どんなに平らになっても45度まではいかない。
驚天動地の珍指導かと思ったら、日本人には案外それがスタンダードな人たちがいるのである。
しかし、バイオリンを平らにすると困ることがいくつも出てくる。
まずG線を弾くために身体をねじる必要が出てくる。
平らなままG線は弾けない。
左手をねじる必要も出てくる。
手首が痛くて仕方がない。
まな板を例えにしたことがあるが、バイオリンが安定していないと弓はまともに載せられず、平らにするとバイオリンと奏者の身体の間の隙間が発生してぐらつく。肩をいからせて変な力が入る。肩当てで調整しても不可能だと最近判明した。
しかしバイオリンを縦に構えると、左手はねじらなくてよいし、本体と音程は安定するし、G線からハイポジションまで楽に表現の幅は出せるし、よいことづくめなのだ。
もう数年間もバイオリンを平らに近くして大混乱していたので、その損失、精神的苦痛は計り知れない。
プロオケベテランの自分の先輩(ヴィルトゥオーソメンバー)と東京交響楽団のロシア人と自分のもともとの構えは、完全に縦である。
ロシア人なんて、動画で90度と明言している。
日本の名門である芸大と桐朋卒ですら、平は平である。
身体のつくり、骨格の違いを差し引いても、楽器は縦に構えなければ、バイオリンをフルに弾けない。
1メートル定規の60cmまでしか使わないような音大生音大卒がやけに多い。
その部類が身体を硬直させたように直立不動で演奏することが多い。
音楽業界の階級制度で、平のクセに名手みたいな構えは禁止だという間違った指導があるのだろう。
そしてだから日本人は音楽が苦手なのだろう。
精神の問題もあるが、間違った指導と間違った構えを正式に採用していることが事実として確認できた。
平らに構えて弾けるのか7年程試してみて、音楽できないことがわかった。
ひたすら力んで手首や筋を痛める悲惨なバイオリン人生になるから要注意だ。
ロシア人の動画で言葉としてはっきり発信していたので、見た目胡散臭い講師だと思っていたが、とうとうさすがに真実に気が付いて、もともとの構えに戻して、身体の痛みが消え、手首のねじれがないから音程も合い、本体が安定して弓も載せやすくなり、何から何まで好循環に戻りつつある。
もうこれからは大学名では評価したり尊敬したりしない。
ほんとうの音楽性とか、ほんとうの巧いとか、人間性とかで、当たり前と言えば当たり前で、プロフィールは信用しない。学歴はあてにならない。
よくある先生の間違いは、自分の習ったやり方がすべてだと過信して生徒に押し付けるやり方だ。
あらゆるタイプと流派を研究して、基礎と合理性を指導するのが講師の本来的資質だ。
研究していて思うに、日本人の95%は講師失格ではなかろうか。
よくある練習量で上達という、科学的思考ゼロのイカれた日本人魂、根性論には、呆れ返るばかりだ。
努力は報われない。
断言しておく。
まっとうな指導者に真剣に師事するのでなければ、そもそもバイオリンなんて無駄にしかならない。
カールフレッシュの音階教本はやっているが、その哲学はまったく理解していない音大生音大卒がゴロゴロしている。
プロですら訳のわからない者がたくさんいるのに、そんなのに習ってアマがまともに育つはずもない。
手間暇かかる真剣勝負を、生徒をバカにして、プロに論理的思考はなく、アマを食い物にするような荒んだ業界に染まらないように、健全なる音楽が普及する一助となるように精進していきたい。
多くの日本人バイオリニストは生徒を育てる心がない。
バイオリンはきちんとやれば誰でも弾けるからだ。
才能なんてウソだからである。
留学しなければ音楽がわからないというのも真っ赤なウソだ。
こういう発信をきちんと理解できる人は、バイオリンに向いているし、わからない人が何十年やってもヘタなまま時間と労力を浪費する。
世の中みんなそれぞれ大変なのだから、無駄な努力はやめた方がよい。
いわゆる日本人はバイオリンには不向きだ。
音楽ではなく、ただの慢心、お調子にすぎないので、猫だましには使えるが、ほんとうに必要なものではない。
きちんとした音楽を知っている人なら日本人なんてやってられないし、二重国籍や外国籍取得を考えるのが当たり前だ。
音楽は人間がやるものであって、日本人、どこかの国籍、階級などではできないからだ。