FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

鬼は外(時差記事)

神道・浄土宗系の「鬼は外」という間違った文化風俗は変えていかなければならない。邪気を払うという意味では用いられなくなったからだ。鬼は果たして絶対悪か?
仏陀の教えの前段方便として、鬼は外という分類と対応は一応成立する。
騒ぐ人を会議室からつまみ出すとか暴徒を排除するのと同じで、才能がある人、美女、犯罪者、障がい者に子供なんかを、わかっていて悟っている成年男子のコミュから締め出すのである。
女性議員はいらないし、コンサートホールに幼児は入れないし、資格は犯罪歴で取り消しになり、エリートは上級国民といって叩かれる。魔女狩りも女性がトラブルの原因としたためだろう。
しかしもう世界は変わっている。
日本だけまだ意固地に鬼は外と。
ちなみに日蓮宗日蓮正宗)では鬼は外とは言わないで豆まきをする。鬼に人格を認める。
どんな人でも尊い菩薩の行いを通して生涯なにがあっても成長のための修行を奨めているからである。
遅れているお坊さんたちはキリストは悪魔だといってやはり「キリストは外、カネはもらう」という。
イタリアには精神病院がなくなり、鬼がそこらへんで幸せに暮らしている。先進国では精神病者が当たり前に地域で平和に生きられる。前科があっても同じだ。
仏陀日蓮も目指していたもの、実現したかったものはなんだったのか?
そもそものところがない「鬼は外」であり、キリスト教排除論では、理性や判断能力すら怪しいアジアのアホを開き直るだけの日本だということになる。
日本には世界一賢い日蓮という仏がいたのだが、なにを言っていたのかほぼ知られていない。
勇気ある人間がいなくなったとき、虐殺やホロコーストはいつでも起こる。局地的殺害や暴行虐待も同じ理屈で起こる。
鬼は外という心は危険なのだ。