FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

犯罪はダメでも虐待はOK フランスはいじめ処罰法厳罰化

f:id:FujiYama:20220212162017j:plainヨーロッパでは犯罪者に再教育して再犯しないようにプログラムが手厚く徹底されて死刑もないから信頼関係の基礎がそこにあることがわかる。
対照的・対称的に日本では建前上人権を尊重するにとどまるので前科者とは信頼関係はまったくない。

犯罪には刑罰があり、虐待には刑罰処罰はない。法律なんてまったくわからないが、そうなっていることくらいは知っている。
虐待を処罰する場合は諸刑法による。
証拠次第なのでまずほとんど法に触れているかどうかわからないというわけだ。

いくら犯罪を処罰しても再犯は確実。
再教育はヘラヘラニタニタでどうせまたやるんだろうと偏見で侮蔑的な対応にしかならない。
犯人が虐待を受けた過去は実質不問だから、そもそも真犯人で教唆犯である虐待行為主体者は野放しで、虐待は問題ないと周囲も水に流している。
まず虐待に処罰がないので、善悪の立場が逆転して、虐待の影響による貧困や過酷な生活から犯罪に走るのが犯罪の起こりであり、メカニズムだろう。
これは社会の矛盾ではない。
日本人の無神経さである。

虐待被害者が次世代虐待主体者になる高確率
虐待被害者が犯罪主体者になる高確率
虐待被害者が死亡或いは重篤な障害を負う高確率
虐待厳罰法を創設できないか?

不条理という言葉のとおり、条理に反する事象を肯定しているのは、黄色人種のなかでも朝鮮と日本くらいで、極端な形だったのが軍閥政治になった昭和初期と現在の政治状況である。
植民地は劣るから支配搾取されて当然で、児童障がい者は稼げないからセクハラ搾取等されて当たり前というわけで、明らかに善悪の判断を間違えている。
中国に対抗するために改憲が必要というイメージとスローガンが広まると、障がい者高齢者児童はまともに生活できなくて当然だという北朝鮮同様の風潮が浸透する。
日本人の人権尊重は建前上だから虐待を見過ごすザル法になっている。
人権条約の批准は表向きの形骸だけ。
障がい者を劣悪な環境や賃金条件で働かせているのは、東大京大卒の官僚や国会議員たちである。
チョークの粉を吸わせ、時給150円程度で働かせて、教育は受けさせないで遺産も貰えないように書士弁護士に書類作成させる。
国家ヤクザに対する糾弾ができる政治家は山本太郎くらいしかいないのだろうか?
彼にも政治家としての野心はあるが、世界の反社会的民族日本人の中ではまだマシだ。

矛盾とか不条理とか言うのは、まず社会正義を追求して最善の努力をした上でのことだ。
95%の日本人には人間の心がない。
ずる賢く学問科学技術を悪用する軍事政府とエリートマフィアとその下っ端神道民が、今こそ改憲だと景気づけしながら、虎視眈々と障がい者高齢者貧困児童に対する広範囲な虐殺を狙っている。
わたしは殺ってないと言えばそれで済むと思っている。技術の問題とか手続き上の問題といえば不問になると思っている。
ちょうど池袋で母子をひき殺した上級国民いわゆる優秀でまじめな日本人の思考パターンである。
飯塚氏は殺した相手方に個人的関係がないと謝罪を拒否して、政府は虐殺酷使した中国人朝鮮人に個人的関係がなく当時の法的正義で開き直りである。
神道の日本人に社会正義を理解しろと言ってもまず難しいが、一応人間の姿形をしているので、ほんとうにたちが悪い。
ほとんどが損得勘定すらできない情けない民族だ。
反社会的民族とは信頼関係は築けない。

筆者は幸い犯罪をやる気にならないで日蓮正宗の楽しい修行と音楽を楽しみに生きているが、ほんとうは奇跡的なことでもある。
人間社会家庭の犠牲者たちを救う力があるのは、奇跡的日蓮正宗と芸術が根本である。
社会的にいろんな方法技術はあるが、なかなか不信や憎悪の犠牲者たちを根っこから立ち直らせるのは、信頼関係をつくるのは、そんなに簡単なことではない。