一度、旧民主党が政権をとったが、すぐにまた自民公明政権にもどった。
その時しきりに言われたことが政権担当能力という言葉だった。
民主党ははじめての政権だったから無理もない。担当するというのが、どういう意味で言われているのかもわからぬまま、官僚にそそのかされて自滅した。
自民公明が本当に政権担当能力があるのかといえば、彼らはやはり官僚の言いなりが基本姿勢だから、はっきり言ってないのだが、それはつまりそもそも政権担当能力とはなにか?ということが問い直されている。
自公は官僚のスピーカーになればそれが政権担当能力だと思っているらしい。
しかしそれでは国民主権が成り立たない。
政権は官僚と政策を小手先で協議するだけでなく、そもそも国民主権や基本的人権の尊重を大前提にしなければならない。
正しくみると、政権は国民主権でなければ担当能力はないものと判断しなければならない。自公のように政権は自己中心的な私利私欲のための好き放題担当ではみんなが困るのだ。
緊縮脳の政府官僚にもの申すこと能う政治家こそ、政権担当能力がある。こんな当たり前のことが忘却されて久しい。日本に民主主義が勃興するよう、日本人が幸福になるように願っている。現状日本政治は国民に重圧をかけるカルト政治でしかない。