FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

バイオリン奏者と教育者を混同しすぎる一般人

奏者として有名な人たちはマスタークラスや音大生相手の講義レッスンしかやらない。
それほど有名ではない奏者が片手間に教えることが多い。
本職が演奏だから、幼児児童の頃から習い、基礎を毎日マンツーマンで覚えた奏者というのは、たいていの場合、どう基礎を教わったか記憶にない。
どこかの汚職政治家ではない。
記憶にないのは、事実ない。
だから、これもあれも当たり前で、習慣で、それを言葉にして生徒に伝えることができない。
伝える言葉を持っていても、生徒を毎日チェックすることができない。
生徒は正確に理解したり習慣で練習したりすることが難しいから、ほとんどの生徒は基礎ができず、なんとなく音を出しているだけになる。
奏者専門と教育者専門と兼業はまったく別だが、得意不得意と相性の問題も大きい。
奏者に得手不得手の分野があるように、教育者にも専門と得手不得手がある。
そもそも教えるのに向いていない人たちも教育者として教えている。
そもそも生徒を人間だと思っていない先生もいる。
たとえば、ウィーンフィルは女性団員をかつては認めなかったし、日本人では華族や士族と財閥だけの趣味であり職業だと未だに信じているきらいのある人たちがいる。
そこまで考えて、先生を選ぶことが大切だ。
いくらお金をかけ、時間をかけても、そもそも教えるスキルに欠けていたり、教えるつもりがなかったり、そんな先生がごまんといるのだから、日本のバイオリン教育界は地雷原みたいなものである。
公的な基準が日本にはないので、教えるといっても、なんでもあり、どうでもよい、あとは知らないのである。

大人の趣味は凝り性が活きる 浪費しないために

なにか適当で遊びがあることも大切ですが、とことんこだわって徹底的に突き詰めることがプラスになることもあります。
完璧主義に似ていますが、結果重視、完成度を最優先する行動原理は、作品レベルや実力を確実に上げようとするひたむきさを約束しています。
これは、たとえばバイオリンを習う大人がうまくなるか、さっぱりな騒音源になるかの違いです。
凝り性は無駄より完成度がなによりなので、一直線にうまくなります。
一方、気分やムードに浸る人たちは、さほど完成度を気にしていません。
よい指導者と凝り性が出逢えば、よい趣味として周囲から認められやすい結果が出てきます。
生徒に目標を持たせて、具体的に徹底すべきポイントを教えない指導者もいます。
教えても右から左の生徒もいます。
バイオリンの場合、1日2時間も集中するのは、大人にはハードルが高く、なかなか専念できませんから、とにかく生徒が凝り性でよい指導者が決め手になると思います。
理想は1日3時間余りですが、実際わたしも45分しかバイオリンを構えない日が多々あります。
そんな日はシュラディークとフレッシュの5番までしかできないので、とうてい弾ける曲を維持できず、むしろ退化しないギリギリだなと思っています。
それでも、気分ムードや格好だけで趣味だと思っている変態趣味よりははるかにまともだなと自負しています。
こういう性格の取り組み方が活きる分野について、理解しやすく、広い社会性を持つことが容易いのは、ひとつの幸福なのかもしれません。
趣味は実用性ありきで、みなさんが楽しく一直線に完成へ向かうことを願っています。
もちろんわたしも同じです。
お金を湯水のように使う暇人の趣味というのは、まったく感心しません。
人類の課題が山積しているものを無関係だからと言う人の心はとても貧しいものです。
実用性に向かって無駄なくやるのは、半分は仕事と同じなので、真剣さや気力や熱意で人のためになる心こそ肝要となります。
よくいる自己顕示型の趣味というのは、次元がまだ高くないので、多少なり恥ずかしいタイプの趣味だという面もあります。
文化的な生活の一助になるか、浪費になるか、その違いにまずこだわって、その基本的人間関係を確認することが人類社会と人生のプラスになることを知ることが大切だなと思います。

中国の貧しい農村・日本経済・欧州文化

中国の奥地の貧困対策を特集した動画を見て、発見があった。
農産品を育てさせて市場に出せば脱貧困だという映像があまりにもわかりやすかった。
山奥の貧民は、農産品が売れるので、助かっているという。
しかし絵面として、あまりにも広大な土地のほんの一区画、何坪、何平米かという部分にしか、作物を植えていないのである。
育てているのは1割未満に見えた。
誰がどう見ても、余っている土地にたくさん育てれば、それだけ貧民一家は豊かになる。
中国の貧困対策は表面的でわずかなもので、予算と種苗の手配という具体的なところは抜けている。

日本人に生まれて、少年期に伯母さん(聖心女子大学卒)に言われたことがある。
1割に入っておればなんとかなる、と。
これは学校の成績の話がメインで、後々の地位や収入に影響するという趣旨だろう。
日本企業の商品開発とラインナップは、日本人の1割を対象にしている。
富裕層と上位の中間層が高い商品を買えるから、そこに狙いを定めて、工業技術力を上回る派手な宣伝で高価格設定をする。
9割の国民は苦しくて、自家用車や家電すらローンを組むことになることもあり、中国メーカーやベトナムカンボジアタイマレーシアバングラデシュなどなどの部品や商品の貧民向けサービスを国内メーカー、日本メーカーとして高価格で購入するように仕向けられる。
つまり日本企業はすべてレベルが低い財とサービスを提供して、ごくごく稀少な限定手工品だけが世界に誇れる産品なのだが、その技術力の低いものを世界のジャパンと高価に偽装する。

ヨーロッパは全国民と移住者を対象に商品を開発販売するので、国民の技術力がより均等に開発されており、工業技術力やサービスの質が高いレベルを維持している。
価格の適正さを国や地域で監視し担保しているので、かなり良いものだけが高価格で実用性ある良いものを適正な価格で提供できる。
全国民だけでもなく移住者までも含めた品質の高い社会的な了解のある経済である。
基礎部分の生活費や医療を保障する対象が1割ではなく、地域のホモサピエンス全員である。
その結果として、ヨーロッパの国民生活は貧困層を含めて豊かであり、人道的正義をスタンダードに全員に豊かで文化的教育を施しているので、教育費や医療費の悩みも少ない。

日本はかつては確かにマーケット上位1割でなんとかなったが、これからはさらに厳しくなる。
上位の中間層が激減して、岸田首相が対策を打つのかと思ったら、さらに中間層をふるいにかけて突き落とす政策。
基礎部分、工業力、技術力、エネルギー食糧の問題に対しては、ほぼ無策だ。
人間の基礎になる宗教の問題もあり、キリスト教にへつらい、ユダヤに貢ぎ、華僑とグルで創価学会とベッタリでは、政治が機能しないだろう。
矛盾になり、相殺になり、あらゆる政策が無効化され、国勢は衰退する。
日本の宗教がユダヤ神道で上納金ありきの真言仏教、大日経1番である限り、日本民族は地域ホモサピエンスの1割未満であり、庶民は奴隷かゴミクズで商売にならないという足切り対象である。
なぜ政府与党がまともな政策を打てないのか、そもそも9割以上を死滅させるつもりなのである。
土地も人もやる気もある日本人の9割以上を人間として見ていないし、取り扱うつもりもない。
宗教の教えがそうなっているので、まじめに奴隷化しているにすぎない。
全地域ホモサピエンスを人間として取り扱う宗教、法華経(日蓮正宗)を根本にするしかない。
日本人富裕層やエリートは根本をまったくわかっていないので、キリスト教出先機関のチェックが必要である。
中国の奥地と同じように、日本はごく一部でしか育てるということをやらない。
国の政策として、種苗を手配しないで雑草として駆除するやり方は同じなのである。

おカネが役にたたなくなる

人口減少、農林水産技術の衰退、衣料品素材加工縫製技術遺失、看護介護従事者の激減、医師薬剤師の質的低下、対面対話意志疎通能力の支障、、、数え上げるときりがないのは、日本の人々の質的低下、生産品の減少、生産技術衰退、サービス産業の持続性の不透明さ。
おカネでなんとかなる時期はそろそろ終わり。よほどの富豪はなんとかなるが、もう年収1000万円級が生活苦を感じている。
軍備拡張をうたい、少ない勤労者は自衛隊と警察と介護医療に割かれ、日本はなにも生産できない米中の植民地になる。
軍需産業関連だけが生き残る。
年収3000万円級から人間として子孫を遺す営みが可能であり、以下はようやく生存し、よほど子どもの元気があればなんとか孫の顔を見ることができる。
ついぞ日本には、奨学金制度ができなかった。
富豪の子孫が成績能力が低くても、奨学金制度さえなければ、よい階級のよい仕事たとえば医師や官僚に育てることができる。
財力で出世させたいので、奨学金制度はライバルを作ってしまう有害なものだという考え方が神道の考え方だ。
この神道流は、日本のレベルを低いままにとどめる。
民主化の基礎条件は、国民のレベルだから、みんな貧乏奴隷にしておかなければ、神道の富裕層による支配体制、すなわち国体が維持できないのである。
神道富裕層はわずか1%から2、3%で、彼らは実に何も生産しない。
税金や料金、家賃保険料などを徴収するだけ。
98%がまともに生活できなくなり、まともに教育できなくなり、まともに勤労できない状況が深まった時、日本国は崩壊する。
もうまともに野菜を作れる人々もいないし、すばらしい職人さんたちもいないし、きちんと手入れしてくれる各種整備士も足りないし、バスや電車の運転手さんもいない。
病院へ行こうにも、ミスばかりする面倒臭がりの医師が曜日限定で診察し、いざとなれば診療を断る。
荒廃した安いアメリカ中国の営業要員とすぐ故障する家電をべらぼうに高額に提供するようになった。
まともに食べられず、衣服は清潔なら選べず、病気になれば死亡する確率があがり、みんな低賃金労働の仕事しかない。
ごく少数のまっとうな専門家は経済はおカネではなく、人・モノ・サービスだと説明しているのだが、マスコミや公務員たちから経済はおカネだと洗脳されると、みなさんわからなくなる。
おカネは介在している数字に過ぎず、人間の営みこそが経済であり、人間がいなくなり、モノが生産されなくなり、サービスを提供することが難しくなると、おカネはただの紙くずになる。
人間の条件を無理矢理おカネにしている日本の政治がいかにおかしいのか、98%は自覚がない。
日本の自滅は、信仰対象がおカネだからこそ実現し、アメリカに基地を提供するために、わざわざ日本人を滅亡させる必要があったのかどうか、とても疑問だ。最高の性能のF22戦闘機は日本に販売せず、高額なF35を大量に提供する日米の不均衡と不信感を直視する必要がある。
そもそも日本人全員が努力して能力開発できる社会システムではないし、自公体制の現在は日本人を滅亡させるシフトになった。
ここまで神道富裕層が日本の将来を考えないにもかかわらず、日本人は対中強硬論やプーチン攻撃に安心しきっている。
底なしの馬鹿が日本を埋め尽くしている。
欧米が強く繁栄するのは、富裕層が賢いことと、市民が能力開発を当然だと知って努力するからだ。
国造りの基本構造がまったく違う。
これからはおカネがまったく役にたたなくなる。
ひたすら奨学金制度を拡充しなければならない。ひたすら政府支出で雇用を創出、エッセンシャルワーカーを育成しなければならない。
人・モノ・サービスの起点は人間であり、日本人全員を人間として取り扱うことでしか、日本は繁栄しない。
神主や財閥の一族のために、国民を奴隷化し続ける国の私物化私有化は、途上国のマフィア経営、軍事独裁中国共産党政治、人権侵害の常態化している北朝鮮体制と同類である。
日本人に産まれてきて、心底恥ずかしいのだが、人間の肌感覚がわかる方が一体どのくらいおられるのか、大変心細い辺土日本である。
つたないおぼつかない。
大半が狂人と知的ハンディのある国民性なのだ。

プーチンは計算している

各国首脳要人がキエフを訪問して国際包囲網でロシアの敗戦というキャンペーンが盛んだ。
戦勝記念日の演説は予想どおり、ロシア独自の文化的まとまりを克明にした。
ウクライナ領内を破壊しつくした軍事行動は大成功し、ロシア軍の損害や撤退はプーチンには好ましいことではないが、アゾフ大隊というネオナチの象徴を製鉄所に追い詰めて実に王手をかけることに成功している。
ロシアの目的はロシア領内を安寧ならしめることであり、ウクライナ軍との戦闘の勝ちにこだわることではない。
ロシアが1番理解しているとおり、ただ軍事力の優位性でウクライナ領内を破壊した。
ロシア領内にはまともに攻撃はできない。
もしウクライナがロシア領内に攻撃すれば、核兵器の出番だからどうしようもない。
ロシアはロシアが安泰で、それが目的であり勝利なのである。
馬鹿はリングの中で勝ったと騒ぐが、平和はモスクワにあり、リングになることを選んだウクライナはまさに馬鹿を見たのだ。
愚かな民は賢明になるように、政権を替えるか、宗旨がえするしかない。
恨むだけという愚かな生き物であっては、不幸だ。

ユダヤ主義と反ユダヤ主義の狭間の個人と日本人

ユダヤ人ではないし、ユダヤ教徒にはなれないし、ユダヤ律法の詳細もみなさん知らないから、とやかく言わない話題になりがちだ。
しかし、世界の秩序、国際関係、我が国の政治を決定している要素の重要なキーになっていることは間違いない。
マスコミと政治家と国際的企業活動が連動して、今の日本があるし、日本人の思考や意思決定にもかなり科学ベースで侵入してきている。
ユダヤ主義と反ユダヤ主義の二択は、そのままキリストのイエスノーの二択に置換されて、現代社会を埋め尽くしている。
翻って東洋には華僑というユダヤと拮抗する商業文化があり、この中国アジア系の文化には、中庸とか仏教的なものが下地として保持されている。
良くも悪くも中国共産党が近代化と公共政策でかなりの成果をあげているのは、その狭間隙間に強い肌感覚が、超富裕層に色濃いからである。
キリストもユダヤも超富裕層は中庸やほどよさをそれなりに理解しているから、社会正義という概念は浸透しており、生活保護バッシングなどは時代遅れの愚行とされる。
キリスト流入以前のアジア日本は、そもそも暴君は別にすれば、ほどよさを理解していた記録も多々あり、教育文化レベルは高いのである。
中国や華僑の流れを汲む日本の富裕層や文化人も多いが、ゆうに日本に渡来して1500年以上経過しているから今や日本の名門である。
残念なことに、その高いレベルを落とした原因は、技術である。
国際社会化、近代化と技術の採用は、人々の生活費を高騰させて、多くの市民が衣食住に困るようになった。
かつて暴君や自然災害、地震雷火事おやじしか恐ろしいものはなかったものが、おカネのためなら人殺しすら厭わない感覚がスタンダードに置換された。
技術とユダヤ財閥なしに市民生活を送ることは不可能であり、同時に日本の衣食住は日本産でなければ円滑な経済家計にはならないというのが、筆者のありきたりな意見だ。
為替に左右され、外国人労働者に依存し、食糧も肥料も種苗まで輸入し、アメリカの核に頼りきっている日本が豊かになることはなく、民族滅亡への最短コースをひた走る。
富裕層だけがなんとか子育てできて、それで満足している私利私欲の政治宗教観を、まずエリートたち、指導的立場の人材が修正しなければならない。
日蓮真言亡国と言った。
神道の直属の侍者は真言宗であり、神道のおべっかを使う親友はユダヤであり、その侍者フランシスコ法王と会う首相を見ていれば、あらゆる価値観が軍事とおカネで歪んでいることがわかる。
カオスの世界で日本人が生き残るためには、日蓮正宗法華経の実践的正統によらなければ、日本が豊かになることは断じてない。
外道各派の関係性上下関係は戦争と虐殺の理論であり、仏教各派の優劣は地域の繁栄と人類的幸福を左右し決定づけることを、まず学ばなければならない。
あまりにユダヤ主義に媚びへつらい傾倒しすぎている。
日本国政府ユダヤ教カトリックに改宗したかのようだ。

値段に見合わない安物が氾濫

誰しも値段が適正なものを買いたい。
物の仕入れ原価や製造コストを考えると、高すぎるとかちょうどいいという適正がわかる。
財布にいくらあるかによって、適正さが変わるものは、適正とは言わない。
富裕層が原価の10倍のものを買って満足している場合、富裕層も馬なのであり、貧乏人だけが鹿なのではない。
適正さには、努力や知恵や連携などの総合力が必要不可欠で、これは古来日本では信心とも言った。
きちんとしている商売、職ならば、原価にのせる利益はあまり大きくない。
現代社会は世界経済の波があるから、利益と資産がなければ危険だという理屈で、とにかく利益率を上げることだけに終始。遠くの誰かが首をくくっても関係ないから、今期決算しか見ない。
パナソニックだけで電気シェーバーのラインナップが30以上もある。
わたしなら3つに絞る。
二万円の最上級モデルは、一万五千円で出せる。
つまりムダな経営で価格は高いので、物の価値より高い設定。
給与を上げるための方策として、政府支出を上げることも効果はあるのだが、実はそのムダな高い最上級モデルは給与があがってもほぼ選ばれない。
なぜかと言えば、中間帯モデルで我慢すれば、ムダに高い五千円と価格差五千円の計一万円を衣食住に回せるからだ。
一方、一万五千円で最上級モデルを販売した場合、店頭価格はそれより少し安く、中間帯モデルとの差が小さくなるので、最上級モデルを奮発して選ぶ。
経済はそれで回る。
日本企業や日本経済のために必要なことは、ムダな要らないもの、要らない業務をなくして、必要なものを優先順位をつけて、人材と資金を配置投下する知恵である。
政府支出の前に、政府の国家の設計図、国家プランが正しくなければ、異次元の金融緩和が向かう先は、反社会的勢力の繁栄と日本民族滅亡である。
民族主義と混同してはならない。
食糧エネルギー問題は、実は文化の問題であり、日本民族の文化と自然を破壊することで、現在の日本国勢の衰退があるからだ。
合理性はムダがないことだが、たとえば誰かが死ねばムダが減るという極端な橋下徹一派のような異常な主張は排除するべきである。
人間や個性を排除して成り立つ和という文化は改善されなければならず、ムダを拡張するだけだ。
高価な安い焼き肉とジャンクフードとユニクロで幸福だという安い人間を増やすのは、国の設計図が間違いだからである。
富裕層は人間として成長しておらず、弱肉強食の動物として、大衆の犠牲や死滅を予定して国家運営するように推奨する。
そのユダヤ主義のために日本の国会が機能している。
だから、一万五千円のものを二万円で売れば、利益が上がって、そのぶんジャンクフードが売れる。それを一石二鳥だという理屈である。
途上国レベルに堕ちた日本人たちは、愚かにも値上げ合戦の戦火に突入した。
良いものを安く提供するには、信心が必要だ。
馬鹿には、値上げしか選択肢がない。
欧米由来の製品サービスはムダに高い。
日本人の衣食住を脅かしている。
便利なものを高く販売して堕落を助長するキリスト様も罪深い。
すべてがカネと物量だというウソを洗脳することに成功して、日本人はパブロフの犬、サルになった。
と同時に精進する人がバカを見るシステムの日本文化も変えなければならない。
財政出動や家計収入適正化の前に、国家観を基礎から作らなければ、紙幣なんてムダな馬鹿のエサである。
人間が文化的に健康な生涯を送るために必要なことは、国の基本設計図であり、その依拠は日蓮正宗でなければならない。
日本人は死んだまま生きることに慣れていて、ペットフードと犬小屋が立派なだけで幸福らしい。
良いものを安く提供できない会社の物やサービスを買うことは殺人なみの悪行である。
紙幣を信仰して拝むだけのユダヤ帝国民の二級奴隷の日本のエリートを信用してはならない。
三級奴隷以下全日本人はまず洗脳されているという自覚を持つことだ。
昔は幕府代官に税を納めて終わりだったが、今は国、地方、経団連ユダヤ財閥、華僑系、中共企業にと何重にも税を納めている。
都心もスラム化しつつある。
まともな人間が減る一方。
危なくて仕方がない。
アベノミクスと円安誘導を続けて日本人滅亡へ向かう亡国の政府政策ばかりで、命よりカネ、値上げあるのみの一億総地獄は、ただの道理だ。